仏の顔も人間の顔
聞いたことがあると思うが、「仏の顔も三度」という ことわざ がある。
カミさんは最近、その「仏の顔も三度」を度々わしにさせるようになった。 “ホトケ顔の大盤振る舞い” など、わしは別にしたくもないんだけどサ。
たとえば先日の朝のこと・・・。
カミさんは週に2回、デイサービスに通っている。
朝、係の人が車で迎えに来て、彼女は家を出て行く。
わしは彼女を玄関に送り出したあと、家の中にひとりになるので、ブッソーな人間が入ってこないよう念のため鍵をかける。
ところがその日は、出て行って3分もすると、玄関のインターホンが鳴った。カミさんがマスクを忘れて、取りに帰ってきたのである。コロナがけっこうまだ元気なのでね。
マスクをかけて出て行って5分ほどすると、またインターホンが鳴った。
じつは数日前から彼女は片方の目が充血していて、数時間おきに水薬で目を洗うよう、医者から言われていた。その水薬のビンを持って出るのを忘れたという。
薬ビンを持って出て行って、さらに5分ほど。
またインターホンが鳴った。
目を洗うときに使用する脱脂綿を忘れたという。
脱脂綿をもって出て行ってさらに10分ほどすると、またまた帰ってきた。
薬箱から脱脂綿を取り出すときに、手にしていた薬ビンを脇において、そのまま置き忘れて出て行ったのだという。
やれやれ、こういうの、何度くり返せばいいの?!
たしかに我々は今やふたりとも物忘れは大得意だが、わしより年の若いカミさんのほうが症状が激しい。
じつは彼女は、病院の検査(MRI、アイソトープ検査など)で「初期認知症」の診断を受けていて、記憶力の減退はそのせいである。
・・・ということは分かっているが、病気だと分かっていても、くり返されると感情が動いてしまう。
同じことをくり返されると、反比例して理性はだんだん利かなくなる。人間ってヤツはヤッカイだ。
そのへんの人間の心理の機微を、「仏の顔も三度」という言葉で表現しているところが面白い。
どんなに温和な人であっても、無礼なことを度々されると、しまいには怒ってしまう・・・。
こういう言い回しに出会うと、日本語というのはスゴイと思う。
ブッソーな人間とさっき書いたが、この「ブッソー」は「仏相」と音が同じで、「仏相」とは「仏の顔」のことだ。
こうなると日本語はますますオモシロクなる。
・・・とでも思って感心してなきゃあ、やってられないんだよねぇ。
今年もまあ、こういうのを繰り返しながら生きていくことになるんだろうなァ。命のある間だけだけど・・・。
本年もよろしく。
当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。