妻に優しくなるとき

taxi

 どうでもよい私事で恐縮だが、わしら夫婦は結婚して今年の10月で満56年になる。

 改めて顧みると、よくも半世紀以上も続いたものだと、奇跡的に思う。
「奇跡的」という言葉は安易に使われる言葉なので、本当は使いたくないのだけれど、今のわしの気持ちを表わす言い回しがほかに見つからない。

 有りていに言えばじつは結婚当初から、周囲からあいつらはすぐに離婚するだろう、と思われていた。「もって2,3ヵ月だね」とあからさまに言うヤツもいた。ひどいもんだね、ひとのコトだと思って・・・。

 もっとも “ひどい” のは他人だけではなく、当事者であるわしら自身もソートーにひどかった、と自分でも思う。

 当ブログを始めたばかりの頃(6年前)に、『結婚タクシー説』という記事を投稿している。
 そこに書いているが、カミさんは筋金入りの「独身主義者」で、一生だれとも結婚しない、と常日頃から口ぐせのように公言していたらしい。なのにわしと結婚したのは、たまたま目の前にタクシーが来て止まって、ドアが開いたので試しにちょっと乗ってみただけ・・・と言ってはばからなかった。(ブログ『結婚タクシー説』はこちら
 
 一方わしのほうは、筋を張り合ったわけではないが筋金入りの「短気」者で、ある一線を超えて感情が高ぶると自分で自分を制御できなくなるという、じつに厄介な性癖を持っていた。(エネルギーが凋落した今は影をひそめたが・・・)
 
 こんな男と女がひとつ屋根の下で生活していたらどうなるか。
 とにかくよくケンカをした。1週間に1回は必ず大きいのをやった。
 わしの父親と母親はほんんど喧嘩をしない夫婦だったので、自分たちがこんなに度々ケンカするのが不思議だった。
 もっと不思議だったのは、その喧嘩が「じゃ別れよう」という話にならなかったことだ。
 
 別に周辺の風評に抵抗したわけではない。
 今から思うと、逆説的に聞こえるけれど、喧嘩をよくしたのが良かったのかもしれない。不平不満をケンカのなかでぜんぶ吐き出して、ブスブス醗酵するモノを内に残さなかったことが、離婚酒を醸造する機会を作らなかったのかもしれない。
 
 しかし二人とも根は自我の強い方の人間なので、つい5,6年前までケンカがなくなることはなかった。さすがに加齢とともに回数や激しさは減ったが、いつまでも大人げなく双方が自分の主張を我慢しなかったので、ケンカが絶えることはなかった。情けないが・・・。

 ところがここ数年で大きく変わった。ほとんど喧嘩をしなくなったのである。完全にゼロになくなったわけではないが、半年に1度くらいになった。

 喧嘩するエネルギーも年を取った、ということもある。
 しかし一番大きいのは、カミさんのMCI(初期認知障害)の発症である。
 彼女の認知障害の主たる症状は「短期記憶力の喪失」なので、当然のことながら最初のうちは、それがかえってケンカの原因を増やした。

 小さなコトから言えば、たとえば生活の場でふたりが共同で使っている日常道具・・・たとえば爪切りが、いつも置いている定位置から消えている。

 カミさんに訊くと「知らない。爪切りはもう何年も使っていない」などと言う。
 そんなはずはない。何年もだと? よく言うよ、と思わずムッとする。現に彼女の爪を見ると、きれいに切ってあるのだ。
 つまりカミさんは忘れているのである。

 カミさんの頭の中からは、爪を切ったという行為自体が完全に蒸発している。
 つまり彼女は、嘘や誤魔化しで言い逃れをしているのではない。心底から爪はもう長いこと切っていない、つまり爪切りは使用していないと信じ切っている。だから、断固としてそう言い切れるし、後に引かない。

 爪切りの場合はコトが小さいし、現に切られた爪が証拠として目の前にあるからいい。しかし、そういう分かりやすい証拠がないケースの方が多い。そうなると面倒くさいケンカになる。

 が、すぐに気づいた。
 カミさんの頭の中からは、病気で記憶が完全に消失しているのだ。そんな相手と喧嘩するのは、幻影を相手にシャカリキになっ頭突きしているようなものだ。愚かしいことこの上ない、と。

 そう納得してみると、カミさんの言うことが不自然きわまりなくても、勝手なことをほざいていると思っても、いちいちまともに対応することは意味なかった。それで別に抵抗感も不服感も生じなかった。
 結果として言い合いがほとんどなくなった。つまり夫婦喧嘩が減ったのである。

 それだけではない。そうして夫婦間の大小の緊張関係が減ると、今までより相手のことに心が行くようになった。

 たとえば、記憶がなくなるということ・・・自分のしたことや言ったことが次々に頭の中から消えていくというのは、当人にとってはさぞ辛いことではないだろうか・・・と推しはかれるようになった。生きていることの実体が、常に端から削り取られられていくような虚しさを感じるのではないか・・・とそれを思うとひどく心が痛んだ。

 そんな病気になりながらも絶望することなく、少なくとも自分に出来ることはできるだけやろうと日々の時間に向き合っている姿を見ると、けなげで、いとおしい気持ちになる。実行はしないが、思いっきり抱きしめてやりたいような気持ちになる。今までの半世紀間に、カミさんにこのような気持ちになったことはなかった。

 ひとが生きていると、どこで何がどう変化していくか分からない。人生は思いも寄らない所で思いも寄らない道筋をたどり出す。面白いといえば面白い。

 それにしても、病気や怪我などで相手が弱い存在にならないと、夫婦でありがら優しくなれないというのは、我ながらなんとも情けないないと思う。
 いい年をしていて、正直いって自分という人間がちょっとイヤになるねぇ。

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