人生に起きることは全て必然で必要

唯物論

 2024年9月1日の当ブログ(こちら)にこんなことを書いた。
 寝起きの立ちくらみで転倒し、首の骨を折って救急搬送された病院で、大きな手術を受けて生き返った、と。
 が、実は、それには前段階があった。
 
 転倒したのは去る6月7日だったが、それより半月ほど前、朝起きたら首が痛い。
 今までにも何度か経験したことのある「寝違え」かと思い、放っておいた。
 すると痛みは取れないどころか、少しずつひどくなってくる。
 
 そこで「ペインクリック」を掲げる診療所に通って、神経ブロック注射を打ってもらった。
 たしかに一時的に痛みはやわらぐが、半日もすれば元に戻る。
 むしろ基本部分では悪くなっていくような気がする。
 
 医者にそう訴えると、完全に治したければ手術する以外にない。
 しかし当診療所には手術の設備がないし、神経ブロック注射を続けていると治る人もいるし・・・とあいまいなことしか言わない。
 手術をすれば1ヵ月は入院しなければならず、完全に元に戻るには3ヵ月~4ヵ月かかるとも言う。
 
 なにより痛い手術はしたくない。面倒な入院も嫌だ。
 で、ダメな人間の常で、つい楽な方へ走った。
 そのうち良くなるだろうと甘く考えた。
 
 転倒したのはそんなときであった。
 
 今から考えると、朝起きたとき首が痛かったのは、知らないうちに首の骨を圧迫骨折していたようだ。
 寝ている間に多少ムリな力が加わっても、若いときならまさに “寝違え” で済んだだろうが、90歳近くの老骨ともなれば、筋を傷めるでは済まなかったのだろう。まさに “老人待遇” だ。
 
 あのまま手術せずに放っておいたら、どんどんひどくなって、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。
 
 で、わしは転倒した。転倒させてもらった、
 おかげで嫌も応もなく手術・・・ということになった。
 ・・・のではないかと思う。
 何か目には見えない不思議な力の導きがあったような気がする。
 
 松下幸之助の言葉にこんなのがある。
「人生で起きることはすべて必然で必要。ベストのタイミングで起きる」
 
 わしは若いときは、唯物主義の権化か親玉のような人間だった。
 が、90年近くもこの世に生きていると、どうも宗旨替えせざるを得ない。
 
 なぜなら、今回書いたことに限らず、人生にはこれに類いすることが多いからだ。
 ・・・というより、後になって考えてみると、ほとんどすべてがそうであるような気がする。

 この世のことは計り知れない・・・。 

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当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。

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