物忘れ繁盛記(2)

物忘れ繁盛期

 「物忘れ繁盛記」シリーズ第2弾。

 さて、わが家では新聞は家の外にある郵便受けに配達される。
 毎朝毎夕、雨の日も風の日も、玄関を出て数メートルほど歩いて取りにいかなきゃならない。
 朝刊はだいたい女房が、夕刊はジョギング帰りのわしが持って入ることが多い。もちろん時によっては逆の場合もある。

 きのうは、ジョギングから帰ってきて郵便受けを開けると、中に夕刊が入ってなかった。
 配達時間はとっくに過ぎている。
 きっと女房が買い物に出て、帰りに持って入ったのだろうと気にしなかった。

 シャワーを浴びてすっきりしたあと、さて夕刊でも読むか、となったとき、かんじんの夕刊がない。女房に聞くと、知らないと言う。
「知らないって、あんたが持って入ったんじゃないの? 買い物に出た帰りに・・・」
「わたし、持って入ってないわよ。・・・だいたいきょうは、午後からいちども外へ出てないもの」
「・・・おかしいなあ。郵便受けにはなかったがなァ」
「だから、新聞屋さんが入れ忘れたんじゃないの?」
 自分の物忘れ技術が一流だからといって、周囲まで同じワザを持っていると思うのは筋ちがいだ。わしもよくやるけど。
 
 わが家へ新聞を配達する人は、若いひとだ。だいたいこの数年間、配達し忘れたことはただの一度もない。
 問題は明らかに新聞屋ではなく、わしらにある。
 半ボケでもそれくらいの判断力はある。

 そこで家の中を探した。くまなく探した。とんでもない所に押し込まれている可能性があるからだ。
 あるときなどいちど、冷蔵庫からブラジャーが出てきたことがあった。
 そのときいちばん驚いたのは女房自身だ。
「なんでこんなものがこんな所に入っているのぉーッ!」
 って、わしに聞かれても困る。
 ところが女房はこともあろうに、
「あんたが入れたんじゃないの?」
 とでも言いたげな目をしてわしを見た。
 正直にいうと、冗談も休み休み言えとハラが立った。

 彼女にしてみれば、まるで身に覚えがないのだから、そういう気持ちになるのは分からないこともない。が、自分の物忘れ技術をタナにあげて人のせいにするなんて、許せない! だいたいわしには、古女房のブラジャーを冷やして喜ぶなんていう特異な趣味は、ない。

 探しても夕刊は出てこなかった。安楽椅子の下や、食器戸棚の裏や、テレビの後ろ、洗濯機の中まで覗いてみたがムダだった。
「ほらね。やっぱり新聞屋さんが入れ忘れたのよ」
 女房は自信にみちた声で言った。
 そうか、いくら若いといっても、何千回何万回に1回くらいは、そういうことも起こらないとは言えないか、人間だもの・・・と相田みつをみたいなことをつぶやいて、わしは販売所に電話を入れた。
 相手は恐縮して、すぐに持っていくと平謝りだった。

 その直後だった。ヒラッとわしの頭の中でなにかが動いた。
 かつていちど、まだ読んでいない新しい新聞が、読み終えた新聞を捨てる専用紙袋の中に入っていたことがあったのを思い出したのだ。もちろん女房がうっかり無意識に入れたのだ。
 ピンポーン、大当たりだった。

 ピンポーン、とインターホンが鳴った。配達の青年が、いつもは家の外の郵便受けまでなのに、わざわざ玄関口まで夕刊とお詫びの粗品を届けてくれたのだ。

 女房はその新聞屋さんに、もらい物の上等な桃をきれいな紙に包んで手渡して、くどいくらい丁寧に礼を言って、労をねぎらった。

 まだ二十歳そこそこの青年は、訳がわからず、気の毒なくらいへどもどして恐縮していた。
 これからはこういうことがどんどん増えるだろう。

 (「物忘れ繁盛記」シリーズ第1弾を読みたい人はこちらから)

 

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