死にたいんだけど、迷っているの

死にたいけど、迷ってるの

 この8月1日に「ボケモン島」の島開きをしてからほぼ1ヶ月が過ぎた。
 その時に書いた記事「ボケモン島の概要と住人」(トップページの画像のすぐ下に固定してある)に、わしはおよそ次のようなことを書いている。

 「ボケモン島を浮かべているのは、太平洋・大西洋のようなケチな水たまりではない。チミモーリョーが住むこの世である。よってボケモン島の浜辺には、日々この世のチリ・アクタが打ち寄せる」と。

 ということもあって、この1ヶ月間、ほとんどチリ・アクタに類いすることばかり書いてきた気がする。たとえそれが現実であっても、少々うんざりしてきた。たまには “ちょっといい話” も書いてみたい。

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 その話をわしが知ったのは、数年前のウェブニュースでだった。このウェブニュースそのものも、女性週刊誌からの引用らしかった。だからいわゆる孫引きになるが、わしの頭の中にある記憶を多少の想像でおぎないながら述べると、およそ次のような話である。

 彼女(仮にTさんとする)はその頃、毎日死ぬことばかり考えていた。死ぬこと以外に今のつらさから逃れられる方法はないと思いつめていた。
 Mさんは当時女子高校生。中学生のとき両親が離婚し、Tさんは父親に引きとられた。

 ところが父親は離婚後も素行が改まらず、かつて母親にしたような暴力を、こんどはTさんに対して振るうようになった。

 Tさんはそんな父親を憎悪し、恐怖した。同時にそのような父親に自分を任せて去った母親にも、怒りと悲しみを覚えた。自分は両親から打ち捨てられた・・・という絶望の紐を、首に巻きつけられたように感じて日々を過ごしていた。

 そのような家庭環境のせいで、Tさんはますます陰気で無口な性格になり、高校に入っても友だちはできず、相談できる親類縁者もおらず、どこにも居場所がなかった。冷たく暗い空井戸の底にひとりうずくまって、いつもたえだえに息をしているような気持ちだった。ただひとつの希望は、死んでこの状況から解放されることだったが、勇気がなかった。

 当時Tさんが住んでいた地方都市には、町中(まちなか)に水量のある川が流れていた。Tさんは、この川の上にかかる橋を渡って学校に通っていた。

 いつの頃からか彼女は、下校時に毎日、この橋の欄干によりかかって川面を眺めるようになった。たえまなく流れてゆく水に心を預けるようにして見つめていると、理由はわからないのだけれど、何かしらほっとするような気がした。

 ある日のこと。
 いつものように欄干によりかかって水面に目を落としていると、後ろで明るい声がした。
「死にたいの?」
 驚いて振り返ると、車椅子に乗った青年がTさんを見上げていた。屈託のない、爽やかとさえ言いたいくらいの笑顔で。
 その笑顔と明るい声に誘われて、Tさんは自分でも思いがけなく自然な声で答えた。
「死にたいんだけど、迷っているの」
 Tさんの返事に、青年は笑い出しながら言った。
「羨ましいな。きみは生きることも死ぬことも、自分で選べるんだ」
「・・・・」
 Tさんが胸を突かれて黙っていると、青年はポケットから小さな紙片を取り出して、Tさんの方へ差し出した。手がしぜんに動いて受けとってみると、そこにはどこかの住所らしいものが書かれていた。
「もしきみが死んだら、魂がこの世を去る前にきみの命を僕にくれないか。僕はまだ生きてやりたいことが山ほどあるんだ」
「・・・・」
「もちろん、きみの気が向いたらでいいんだよ」
 笑いながらそう言うと、青年は、じゃあ、と片手をあげ、その手で車椅子の車輪を回して去って行った。

 Tさんの気持ちが少しずつ変わっていった。そうはっきりと意識したわけではないのだけれど、ふと気づくと、自分には本当にやりたいことは何もないのか、私の未来にできることは何一つないのか・・・・と自らに問いかけていた。

 同時に下校時に橋の欄干によりかかることが少なくなった。かわりに、青年がくれた紙片に書かれていた住所の辺りを、何とはなく歩くようになった。橋からそう遠くない川筋にある、ごく普通の日本家屋が並ぶところだった。ただ、紙に記されていたのは番地までで、号数や家名は書かれていなかった。青年の住んでいるのがどの家なのかは分からなかった。

 そうして半年あまりが過ぎた。
 少しずつ生きる気持ちをとりもどすと共に、ここしばらく川筋の町を訪ねていなかったことに気づき、Tさんは何とはなくそちらへ足を向けた。
 そして、ある家のまえで思わず足が止まった。その家の玄関にかけられた黒枠の簾に、「忌中」と書かれた半紙が貼られていたからだ。

 Tさんは三十分ほど行ったり来たりしたのちに、思いきってその家の玄関に立った。
 出てきたのは五十代半ばの品のよい女性だった。
 Tさんはつっかえつっかえ、橋の上で車椅子の青年に声をかけられた話をした。
 驚いたように見開いた女性の目に、ゆっくりと涙がにじんだ。
 女性は車椅子の青年の母親だった。十日ほど前に息子さんは亡くなったことを告げたあと、こんな話をした。

 息子は生前、天気のよい日には裏庭に出て過ごすのが好きだった。たいていは本と双眼鏡を膝のうえに乗せていた。本を読むのに疲れると、双眼鏡に持ちかえて目にあてた。
 とりわけ、たまたま遮るものがないので庭から見通せる橋をよく見ていた。橋の上に行きかう老若男女さまざまな人々の、それぞれの人生を想像するのが楽しいのだと言っていた。

 半年ほど前のことだった。突然、ちょっと出かけてくると言って、あわただしく車椅子をあやつって家を出て行った。病気が進行していたので心配だったが、その時の息子には、静止をためらわせるような何かがあった。黙って行かせた。

 そして数十分後に帰ってきた彼は、いつになく晴れやかな顔をしていた。そしてこんなことを、とてもうれしそうに言ったという。
「僕は自分の命は救えないけど、ひょっとすると、別の命をひとつ救えたかもしれない・・・」

 Tさんは今、医療関係者のひとりになって、人の命を救う仕事に従事している。

ポチッとしてもらえると、張り合いが出て、老骨にムチ打てるよ

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死にたいんだけど、迷っているの” に対して 2 件のコメントがあります

  1. むらさき より:

    いつも お邪魔しては楽しませてもらっています♪
    普段は大笑いしてストレス解消をさせていただいていますが、今日は胸に染み入るお話ですね♪
    職業は看護婦、今貧困の子供たちの居場所つくりのボランティアをしています♪
    そのせいか、凄く勇気をもらいました♪
    アラカンだけど、まだまだ頑張らなくっちゃ!!!
    これからも、更新を楽しみにしています♪

    1. Hanboke-jiji より:

       拙ブログ「半ボケじじィのボケまくり島」は始めてまだ1ヶ月あまり。まだ世にほとんど知られていないのに、早くもむらさき様に発見されて、このようなコメントをお寄せ頂いたことは大きな喜びであり、励みになります。
       当ブログに頂いたコメント第1号として、大切に保存させて頂きます。
       
       むらさき様は看護師という尊いお仕事をされていて、しかも貧困の子供たちの居場所つくりにもかかわっていらっしゃるよし。立派ですね。アラカンだそうですが、私のように、「アラカン」と聞くとまず嵐寛壽郎の顔を思い浮かべるような年代の人間からすれば、まだまだお若い。人生の成熟期・充実期はこれからですね。うらやましいです。人生って、その人の心の持ちようしだいで、どのようにも変化するものですよね。ぜひ頑張って豊かな時間をお送りなさいますよう、陰ながらお祈りしております。
       
       私も人生最後の仕事として、できるだけブログの更新を続けていきたいと思っております。こんごともどうかよろしくお願いいたします。

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