霊感・超能力・超常現象について(その1)

精神世界

 世の中には、いわゆる「霊感のある人」という人種がいる。
 ふつうの人間は感じないこと、あるいは感じ取ることが不可能と一般に思われていることを、感知できる能力をもっている人たちのことである。

 彼らの中には、時空を超えた現象を知覚できるひともいる。
 たとえば、イタリアに行ったこともないし、まったく興味もないのに、ルネッサンス時代のフィレンツェに実存したある彫刻家の言動を、周辺の風景と共に、あたかも目の前に見るように具体的に描写できる中年女性が、京都にいる。その光景が見えるのだという。

 そしてその人の言っていることを、実際にイタリアへ行っ検証したノンフィクション作家もいる。
(森下典子『デジデリオ・ラビリンス 1464・フィレンツェの遺言』/『前世への冒険 ルネサンスの天才彫刻家を追って』)

 そういう種類の人に対する世間一般の反応には、大きく分けて二種類ある。

 まず頭から受け付けない人。
「この科学の時代にバカなことを言うな。霊感があるなどと言うやつは、どこかで必ずインチキをしている。マジックに仕掛けがあるように、どこかにカラクリが隠されている。いわばペテン師だ。
 そんなことすら見抜けないで、時代おくれの世迷いごとに振りまわされるごとき人間は、現代に生きる資格はない」
 といった主張する人たちである。一時期テレビなどで、舌鋒するどく超常現象を否定していた元早稲田大学理工学部教授大槻義彦氏や、作家の野坂昭如氏、タレントの松尾貴史氏などがその代表であろう。
 彼らの言い分をひと言でいうなら、「科学的根拠がない」ということに尽きる。
 そういう人の多くは、目に見えること、科学的に説明のつくことしか信じないタイプである。

 そしてもう一方に、自身に霊感がある(と主張する)人、あるいは、たとえ自分には霊感がなくても、「霊感・超常現象等の存在」を信じられる人がいる。
 その中には、次のような論理を展開する人もいる。
「科学の時代というが、現代科学の最先端でさえ、宇宙真理のすべてを解明しているわけではない。単に現時点における一段階を示しているにすぎない。早い話、現代では疑う者などいない地動説を、科学はわずか数百年前(16世紀)まで知らなかった。天動説が絶対的な “真理” だった。
 あるいはほんの百年前でさえ、『ブラジルで行われているサッカーをほとんど同時に日本で見ることができる』などと言えば、まちがいなく狂人扱い、あるいはまさにペテン師扱いされたであろう。

 ことほどさように、どれほど科学が進歩しても、それは常に宇宙の真理解明の一過程にすぎない。つい最近も、現代物理学の大前提といわれた相対性理論に修正を迫る新発見があったばかりだ。
 つまり宇宙は、いまだ科学の手が届いていない未解明部分のほうがはるかに大きい。いわゆる霊感や超常現象と呼ばれる事象も、その未解明領域に属する一分野である可能性を否定できない。それを否定するには、どのような科学的根拠によるものかを示さなければならない。でなければそれは非科学的である」
 などと主張する人たちである。

 この両人種のあいだの開きは大きい。
 そして、その極右と極左を両端にして、その間にはさまざまなレベルの「超常現象理解度」の人たちがいる。それこそ百人いれば百のレベルが存在すると言っていいだろう。
 ちなみにわしはと言えば、だいたい五十歳ころまでは、ほぼ極右の大槻教授に近かった。しかし様々に重ねてきた浮き世の経験が、中年以降になってボディブローのように効いてきて、わしを少しだけ左へ押しやっている。

 わが女房殿は、霊感度の物差しでいえば、わしよりさらに少し左に位置する。
 彼女がわしの目の前で示した、科学では説明のできないと思われる実例のひとつを、次回「霊感・超能力・超常現象について(その2)」に紹介してみよう。

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