ボケとメガネは使いよう

眼鏡・メガネ・めがね

 椅子の上に置いた老眼鏡に気づかず、その上にうっかり腰をおろして、メガネを壊してしまった。しなびた尻でもメガネよりは強いようだ。

 で、困った。自慢じゃないが、わしはメガネなしでは字が読めない。早い話、ブログも書けない。パソコン画面がぼやけて、文字を打ち込んでも文字に見えない。
 何に見えるかって? 美人の寝姿には見えないよ。黒っぽいミミズが這っているように見える。ヤル気を失うよな、それじゃ。

 メガネ屋に行って誂えていたんじゃ、少なくとも数日かかる。間に合わせに駅前の100円ショップへ行って、税込み108円の老眼鏡を買ってきた。それを鼻のうえに乗っけてこれを書いている。
 度が少し強いのか、目の中のどこかがムリヤリどこかへひっぱられてる感じがするが、字はなんとか読めるよ。

 そういうハプニングがあったので、きょう書く予定を急遽変更して、初めて老眼鏡を掛けたころのことを書く。何十年ぶりかで、むかしのある光景が妙にはっきりと見えてきたのでね。

 40代後半だった。
 おそらくわしだけではないと思うが、新聞が読みづらくなっても、しばらくは老眼鏡を使わなかった。
 ムリすれば読めないこともないことがひとつ。もうひとつは、「老眼鏡」という言葉のもつイメージの問題だ。
 50歳にもならなにのに、もう「老眼鏡」が必要なの? と思われるのが嫌だったのだろう。”老いる” ということことへの無益な抵抗。(そういえば当時、石川達三の小説に『48歳の抵抗』という作品があって、ベストセラーになったな)

 さらに面倒くさいことに、わしにはもう一つ、わしだけにかかわる別の理由があった。
 眼鏡をかけることで、元々いい男とは言いかねる顔をなおまずくするのでは・・・と気になったのだ。いま振り返ると滑稽以外の何モノでもないけどね。

 しかしそのうち、そういうゴタクを言ってはおれなくなった。
 ついに朝夕の新聞が読めなくなったからだ。背に腹は替えられない。目に耳だって替えられない。しぶしぶ重い足をメガネ専門店へはこんだ。

 すると思いがけない発見があった。
 わしの話を訊いた店員はさらりと、
「わかりました。読書用メガネのお誂えですね」
 と言ったのだ。

 それを聞いて、思いもかけずわしの心は明るくなったのである。
 なるほどそうか。水の中を泳ぐときは水中メガネを使い、鉄工所の工員が溶接するときには溶接メガネを使う。そして新聞や本を読むときには読書用メガネを使うのだ。ただそれだけのことではないか。どこに気をを病むところがある?   
 いま思えば、あきらかに自分に都合のよい論理の桂馬飛びだが、そのときはメガネ店員のこのひと言で、いわば「老眼鏡」がもつマイナスイメージがほぼ払拭されたのである。

 さて、メガネが出来上がった。それをかけたときの、目の前のクモの巣を取りはらったような爽快感はむろん言うまでもない。しかしわしにとっていちばん大きな、そして最も思いがけない発見は、実は別のところにあった。
 それはメガネをかけたわしに対する人々の反応が、えらく良いことだった。家族だけでなく同僚たちにもだ。同僚のひとりはこんなことを言ったよ。
「おっ、美容整形やったな。安い手術料で・・・」
 むろんジョークめかしてへたな世辞を言ったのである。

 そのときわしは、「眼鏡顔」という言葉があるのを初めて知った。男でも女でも、メガネをかけたほうが見映えのよくなる顔・・・世の中にはそういう顔があって、わしの顔は、実はどうもそのテの顔だったらしいのである。

 いかにも単純で子供っぽいが、それ以降わしはメガネをかけることに抵抗がなくなった。どころか、近眼ではないので遠距離用メガネが必要でないことを、どこかでちょっと残念に思っていたフシがある。

 そのころのことだ。出張で列車を利用したとき、ボックスシートの向いの席に美人が乗ってきて座った。
 わしはそれまで窓外の風景を見ていたのだが、無意識のうちに鞄から本を取りだし、眼鏡をかけて読みはじめたのである。
 しばらくしてそんな自分に気づいて、さすがにすぐメガネを外した。
 が、気恥ずかしさと自己嫌悪はしばらく消えなかったな。

 ま、今から思えば、そういう色気があったこと自体、懐かしいけど。

ポチッとしてもらえると、張り合いが出て、老骨にムチ打てるよ

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