出すべきか、出さざるべきか、それが問題だ(上)
年をとると何もかもが衰える。
肉体・精神のあらゆる機能がコロガリ落ちて、へたってくる。
とはいうものの、この世は面白い。捨てる神あれば拾う神あり、ってのも現実にはあるんだワ、これが。年を取るにつれていよいよ盛んになるモノが、ないわけではないのである。
どういう理由、もしくは仕組みで、そうなるのかはわしにはよう分からんが、とにかくソレは加齢と共に盛んになる。
ところが、盛んになるのに、「それを表に出すか出さないか」がまま問題になる。
自然の本質から言えば、出すべきだろう。しかし、なぜか人は表に出したがらない。特に女性にその傾向が強い。
おそらくそれは、時によって異臭を伴なうからだろう。
もうおわかりだろう。その通り。「おなら」。「屁」とも言う。
言語学的には「屁」のほうが正統語で、「おなら」は俗語、一種の「通りことば」だそうだ。
ところがどういうわけか、正統語である「屁」より「おなら」のほうが口にされることが多い。悪貨は良貨を駆逐し、俗語は正統語を駆逐する。驚くことではないが、女性が俗語をご使用あそばすところに妙味がある。
というのは、「おなら」は「お鳴らし」の短縮語だそうだ。
「お鳴らし」ねえ。そうと知って、レディがこの言葉をお使いになる場面に遭遇すると、わしはなんとなく口の端のしまりが緩む。お上品なお顔で「お鳴らし」→「鳴らしてる」っておっしゃってるんだもん。
さて、ムダ口を鳴らしてないで本題に入ろう。
本題は上記のような一般論ではない。具体的かつ極私的な問題である。
つまりわしと女房との間でまま議論となる「放屁様式」、あるいは「おならの出し方」について。
「まあ、お品のわるい!」
とまた叱られそうだな。しかし、そう言って美しい眉をひそめておられるご婦人方だって、なさるときはなさっている(表に出すか出さないかは別にして)のだから、ここはひとつ、ご寛容にお目こぼしを頂きたい。
ことさら言うまでもないが、人間に限らず動物はすべて「放屁」する。つまりおならをする。
生体の生理が要求する自然現象だからしかたがない。もっとも甲殻類や細菌類・・・ミジンコ・バクテリア・ウィルスのたぐいも放屁するのかどうかは、浅学にして知らない。しかし一度聞いてみたいな、風邪ウィルスの「おなら」。
ともあれ、生きものの端くれであるわしも、恥ずかしながら放屁する。
それも先に述べたように、加齢とともにその活動がいや増している→女房の耳に届く機会も多くなる→白い目でにらまれる頻度が増える・・・というかたちで連鎖する。
「しょうがないだろ。出さないでムリに押し返すと、体に悪いっていうよ」
「押し返せとは言ってないわ。そうあからさまに出さないで、って言っているの」
「わしはな、あからさまのつもりはないんだ。遠慮しいしいでも、ついはずみでハデな音になっちゃうケースもままあるということだ」
ウソではない。いくらヒマだからといって、放屁音の高さ、もしくは音質の良さを女房に自慢して嬉しがりたい・・・と思うほどわしは酔狂ではない。
事実は逆だ。そばに女房がいるときは彼女を気にして、できるかぎり隠密裡にコトを処理しようと努力はしているのだ。
しかしわしらの年齢になると、身体が思うように動いてくれないのは、他のもろもろと同じ。こまかい文字が読みづらくなる、低い声が聞きとりにくくなるのと同様に、腸が脳の指示どおりに動いてくれない。
その結果、意図しない音が、あるいは高くあるいは湿っぽく発生し、女房のヒンシュクを買うことになる。
この不本意な放屁は、ちょっとした偶然が原因でも起こる。
たとえば女房の手前、人知れず粛々と開放してやろうと鋭意努力中に、突然、「ごめん、ちょっとそこの新聞とって」と言われ、ひょいと中腰になったとたん高らかに発音する・・・といったようなケースがそれである。
わしは思わず中腰のままフリーズし、その状態で、女房の白目の矢を何本も受けることになる。
はっきりいって人様に見せられた図ではない。
とはいうものの、家の中はまだいい。戸外の人様の前で同様の状況が発生したとき、コトはもう少し厄介になる。
すでに当記事は長くなっている。
ブブブーーーーなんて長い屁が嫌われるのは、 ヘを見るよりあきらか。
ブーイングを浴びるのはわしだって好まない。
戸外におけるわが放屁事情については、次回にまわすことにする。
相変わらずの大笑いです。 我が家でも年中もめます。お互いの約束事
食事中は我慢するか、トイレに駆け込むこと、人がそばにいるときは
配慮すること、誰もいない部屋に行くこと、等々、でも同居人はね~~
そんな時はゴメンといいましょう。。。
私、トイレか自室です。ほとんど失敗していません。
食べる量にも違いがあるようですね、私、よくそれで活きているわねと
言われるくらい小食なんです。 それに戦争中の女学校で女性のたしなみ
という小笠原流の厳しい躾も効いているのかも。フフフ 気を付ける意思が
あれば、ある程度守れるのではと思うのですが、違いますか?
戦争中の、それも小笠原流の躾が効いているつれあいがそば
にいるご主人は、さぞかし大変しょうねえ。
大変だけど幸せです。
そういうきちんとした目がそばにないと、男はどこまでも
ずるずるとくずれていって、うす汚れたただの臭い老人になって
しまいますものねえ。
ご主人によろしくお伝えください。
フフフ。。。こんな嫁でなくって良かったと思っていますね。
夫は一日中自室で油絵に熱中、妻は一人旅で楽しんでいます
ほとんど別行動の60年です、幸、不幸、?惰性かな
ご主人は画家ですか?
おふたりともお元気なのが何よりですね。