思い出すと「ギャーッ!」と叫びたくなる時
「いのち長ければ恥多し」ということわざがある。
過去の出来事は、ふつうは年月を経るにつれて遠くなり、やがて霧の中に消えるように忘れ去る。
だがわしの経験では、深く身を切られたようないわゆる赤っ恥は、むしろ年とともに思い出す頻度が多くなる。
それはわしだけのことだろうか。
いや誰でも1つや2つは持っていると思う。思い出すだけで “ギャーッと叫びたくなる” ようなヤツ・・・。
中には10や20くらい隠し持っている恥富豪もいるかもしれない。いや実際にいる。自慢じゃないがこのわしがその1人。金貧乏の恥富豪なんて、シャレにもならん。
と、まあ、人間は誰でも生きてりゃどっかで(あるいはあちこちで)恥をかく。冒頭に挙げた「いのち長ければ恥多し」ということわざはそれを言っているのだろう。
実はわしはそのことわざでほっとするんだ。ああ、自分だけじゃないんだなって。
何だそんなことか、ってあんた、いま鼻先で笑っただろ?
フン、笑わば笑えだ。このブログのトップページの画像の中に、ちゃんとそう断ってある。
しかし現実問題として、ほっとしてばかりはしておれんこともある。わしの場合は次のような時だ。
何度も書いているが、わしは糖尿病で毎日ジョギングしている。
で、走っているときに、いろんなことが頭のなかに浮かんだり沈んだりする。腐った水の中のボーフラみたいに。
で、時に脈絡もなく昔のことがポカリと浮かび出ることがある。うれしかったことや楽しかったことなら問題はない。かえって足が弾む。
しかし、そういうときに思い出すのは、たいてい思い出したくもない記憶が多いのだ。風呂の中でつい洩らしたオナラが、ポカリと鼻先に浮かんでくるようなやつ・・・。
多くは「クサッ!」といって鼻をつまめばやり過ごせる。が、それではすまないことがある。 “ギャーッ型赤っ恥” が、ぜんごの脈絡なく浮かんでくることがあるからだ。
こいつが出てくると困る。路上じゃ避けようがないからね。
(わしのジョギングは)千日回峰行みたいに深山を走っているわけじゃない。周辺に人がいる。通行人や、買い物カゴぶら下げて立ち話をしている主婦らだ。
なので赤っ恥がいきなりバァーッと顔を出しても、見境もなく大声をあげて「ギャーッ!」とか咆えるわけにはいかない。必死に歯を食いしばって、声が外に出ないように努力する。
ところが辺りに誰もいない場所がある。住宅地域を走ってるときだ。
昨今の都市郊外の住宅地には、まっ昼間でも深夜の墓場みたいに人っ子ひとりいない所がある。ゴーストタウンとほとんど変わりはない。
となると当方もつい気がゆるむ。油断する。赤っ恥の記憶がはじきとばす「ギャーッ!」が、そのまま口から飛び出てくることがある。
もちろんそんなことは度々じゃない。これまでで3度くらいかな。そのうち2度はさいわい周辺人がいなかったので、特に問題は生じなかった。だが一度だけ、死にたいほど恥ずかしい場面にぶつかったことがある。
誰もいないと思っていたら、あろうことか、そばの生け垣のすぐうしろに人がいたのである。
その人にしてみれば、寝耳に水どころの話ではなかっただろう。頭の上から突然バケツの水を浴びせられたくらいびっくりしたにちがいない。
庭にしゃがんで土いじりを楽しんでいたら、いきなりあられもない声が、ゴーストタウンの静寂を引き裂いて響きわたったのだから。
驚愕して生け垣の上から顔を出してみると、白いヒゲを垂らしたイイ年の爺さんがヨタヨタ走っていて、こっちの顔に気づくとユーレイでも見たように仰天して足を止め、どんな顔をしたらいいか分からんような気まずげな困惑顔で、軽く頭を下げたのだから。
あんた、いま笑ったな。
こっけいだろうが、わしの身にもなってみてよ。
そのときわしの周辺には人っ子ひとりいないんだ。電動ノコで脚でも切られたような、およそ老いぼれ爺ィが出したととは思えん声をあげたのは、わし以外にだれも居ないんだよ。
わしはいったいどんな顔をすればいいんだ!? 軽く頭を下げたのは、半射的に出たテレ隠しだ。
こうしてまた、わしの人生に赤っ恥がさらに一つ加わったのである。
「いのち長ければ恥多し」
嗚呼!! 何というスグレたことわざだろう。
今、池内紀さんのすごいトシヨリbookという本を読んでいます
その中に 川柳で オムツしてデートに出かける八十歳
自分の体の一部がままならない。年を取って自分の生きる状態を
悲劇にすると非常に辛い。喜劇だと思へば笑って済むこと
こんな心境に到達するのはむずかしいですねー
誰でも人には言えない恥ずかしい出来事ってありますよね
鏡をなるべく暗い場所において顔、姿を見る そして
自分でできる最高のおしゃれをしてマーケットに出かける
こんなことが私にできる精一杯の現状です。
87歳老女の現実の姿、生活は。。。
有名な女優さんが皺は勲章だと言っていますが、
そこまで悟りきれません。
けいさんは87歳ですか。
私よりまだだいぶ人生の先達ですね。
高齢者は87歳でも90歳でも100歳でも、その歳なりに
できることを精いっぱやってい生きていくしかありませんものね。
読んで戴いてるかどうかわかりませんが、
当ブログの10月の27日に投稿した「100歳老母の判定勝ち」
で触れておりますが、私の女房の母親は、100歳近いのにまだ自ら主張して
独り暮らしを続けています。
この義母を見ていても女性は強いなあとつくづく思います。
男はとてもかないませんが、この義母やけいさんと見倣いながら
せいぜい頑張って生きて生きたいと思っております。