99歳老女に見る精神力
隣県に独りで暮らしている99歳の義母から、寒くて堪えられないと電話がかかってきた。
3月下旬に “寒の戻り” で関東一円にも雪が降った日のことである。
義母の住む家は築30年あまり経っていて、ドアの一部が壊れていた。そのドアを、運の悪いことに、前日に近くの大工さんが修理のために外して、仕事場へ持って帰っていたのである。
まさかその翌日に、寒氏が雪を手みやげに戻ってくるなんて思わなかったのだ。
外されたのは家の内と外をつなぐドアではなく、居間と洗面所/風呂場のあいだにあるドアだったのだが、寒気が入ってくるのを防げず、エアコンの暖房を全開にしても居間が温まらない。
電話がかかってきたのは朝だったが、前夜は寒くてほとんど眠れなかったという。弱音を吐くことの少ない義母ではあるが、さすがにこの突然の寒さには参ったらしい。
その日の午前はこっちもすでに予定が入っていて、すぐには行けなかった。
午後には行って、ドアの穴を塞ぐ手だてをなんとか考えるから・・・と女房は話して電話を切った。
午後、用事を終え出かける用意をしているときに、義母からまた電話が入った。
来なくてもいいという。ドアの穴は自分で塞いだからと。
この老母のことは2017.10.27の記事『100歳老母の判定勝ち』に書いているので、読んでいただくと分かるが(リンクはこちら)、同い年の爺さんなど2,3人束になってかかっても空気投げで吹っ飛ばされそうなくらい気合の入った老女だ。
それにしても、先の記事にも書いているが、身長は縮んで1メートル40センチにも足らず、体重も30kg台で、全身骨と皮だけ・・・というか、あいだに肉らしいものがほとんどない骨皮密着型の体である。
最初はドアを外されて空いた穴の前に、古い毛布をぶら下げようとしたらしいが、重くて持ち上がらず、考えなおして毛布をシーツに替え穴を塞いだという。
ドアの高さは1メートル80センチ近くあるのだ。脚立を使ったにしても、筋肉が絶滅危惧状態にあるあの体で、どうやって脚立にのぼってそうした作業をしたのだろうと、わしにはその工程をイメージすることができなかった。
イメージできるのは、もし義母と同じような体形の99歳の男だったら、自分でやろうなどとは100%思わないだろうな・・・ということぐらいだ。
この話には続きがある。
義母は最近モノを食べると歯にしみるので、歯医者に行きたがっていた。
しかし、かかっている歯科医院までちょっと距離があり、ひとりで行くのは少々あぶない。こんど娘(わが女房)が実家を訪ねたときにいっしょに行く予定になっていた。
ところが彼女は、ドアの穴を人の手を借りず自分ひとりで塞いだことで自信を得たらしく、ついでに歯医者へもひとりで行ってきたという。
こうした義母を見ていてつくづく思うのは、人間という生きものは、目に見える肉体よりも目には見えない精神のほうが、生きるうえでよほど重要だということだ。
肉体は少々老いて衰えても、精神さえしっかりしておれば、ちゃんと生きていける。
逆に肉体は丈夫でも、精神がヤワでふにゃふにゃしていると、その人間の生きざまはこんにゃくみたいになる。自分ひとりでは立てない。他者の支えに頼らないと夜も日も明けない。
立たないこんにゃく状態はアレだけにしておきたい・・・というのが、せめてものわしの願いだ。