ウミガメとデバガメ、あるいはデジカメとギンカメ
わしが自分の性格をはっきりと自覚したのは、高校生のときだった。
高校は隣町にあって、自転車で30分ほどかけて通学した。
その隣町には親たちが懇意にしている親戚の家もあったが、通学路の道筋だったにもかかわらず、わしは用事でも言いつけられないかぎり寄りつかなかった。
一方、3歳下でわしと入れ替わりに同じ高校へ通うようになった弟は、下校時などに用事もないのに「おばちゃん、また来たで」などとたびたび訪ねて行き、おやつをもらったり食事を供されたりした。
ある日、その親戚の主婦がわが家へやってきた時、母親にこんな話をしているのを偶然耳にした。
「Kちゃん(弟の呼び名)は可愛いけど、Mちゃん(わしの名)はほんまに可愛げがないねぇ」
その頃にはうすうす感じていた自分の性格を、目の前で扇でも広げるようにはっきりと見せられたような気がした。そしておのれの人生の先行きに獏とした不安を感じた。
犬や猫は、同じ腹から生まれた兄弟姉妹でも、性格がぜんぜん違うという話をよく聞く。
わしと弟も同じだ。顔は似ているけれど性格はまるで違う。デジカメとギンカメ(銀塩カメラ)くらいに違う。見た目は同じようだけれど中身はウミガメとデバガメ。
同じ母親から生まれたことは間違いないのだが、その前段階のプロセスの一部に違いがあるのでは・・・と疑いたくなるくらいだ。(それでいて顔は二人とも父親似だったから話は複雑である)。
小・中学校まではそうでもなかったのだが、いわゆる思春期の頃から、わしは理由もなく人づきあいが悪くなった。友人との交流にも消極的で、できるだけ人との付き合いを避けた。
そうした性格が、自分の未来に良い結果を生まないだろうということは、当時から漠然と感じていた。大学での部活に演劇部を選んだのも、むりやりにでも人の群れの中に自分を押し込んで、少しでもそうした性格を矯正したいと思ったからだ。しかしその程度では持って生まれた性(さが)は変わらなかった。そして予感どおり、人生に良い結果を生まないことを生涯かけて実証した。
弟はその逆だ。人生のどの年代においても友達が多く、しょっちゅう家に人を連れてきた。また集まりごとの幹事・世話人をみずから進んで引き受け、それを楽しんでいた。当然だれからも好かれた。
仕事も大学の先輩と貿易会社を創業し、仕事で知り合ったタイやインドの富豪と、家族ぐるみの交際を重ねた。
会社を辞めた後も、現役時代のそうした人脈を元手に、77歳の今も個人規模の仕事だけどけっこうな収入を得ている。
三つ子の魂百まで、ということわざがある。
人間が持って生まれる性格とは何なんだろうと思う。
そもそも性格というのは何が原因でこう違うのか。
80年生きてみてますます分からなくなった。
うふふ♪
私には兄弟が居ないので、比べる相手もないのですが、我が家の次男坊と三男坊は血液型が同じO型ですのに、性格が正反対でございますよ(笑)
次男:能天気、部屋汚い、毎日釣り三昧、まーよくしゃべる、お酒は好まず飲み会のお金は誰かが出してくれる。
三男:無口、愛想なし、チョー真面目、プチ潔癖、お酒好き、しかも飲んだらおごりたくなる。
よって、血液型占いは嘘だと確信している産みの母でございます(笑)
人間ってじつに不思議だなァ。
長く生きてれば生きてるほど、人間との付き合いも長くなるから、人間のことが
分かってくることもあるんだけど、逆に分からなくなってくることも増えてくる。
むらさきさんの息子さんたちもそのようだけど、わしと弟も、どうもタネは同じ
らしいのに、どうしてこんなに性格が違うの! って神サンの胸ぐらをつかんで問い
つめたいくらい。
むらさきさんの息子さんは、タネはもちろん(…と思うけど)血液型も同じなのに、
まるで正反対・・・というのも凄いね。ほとんど笑っちゃいたいくらいだけど、ほんと
人間って面白い。
わしの性格はどっちかというと三男サンのほうに近いかな。飲んだら眠くなる・・・
というところがちょっと違うけど・・・。