キッチン・バトル -年寄りの水あそび-(5)

生ゴミ

 (今回でこの連載記事も5回めになる。当記事だけ読んでもチンプンカンプン沼に放りこまれてアプアプするだけなので、いちおう前回までの記事にも目を通してネ。〔前回までの記事はこちらから→(1)(2)(3)(4)

 そのときも、たわいのないことがきっかけだった。

 ちょっと話がそれるが、女房はゴミが嫌いだ。前世ではゴミが親のカタキだったのでは・・・と思うほどの筋金入りのゴミ嫌い。
 週二回の燃えるゴミ収集日の朝は、広くもない家内にいくつも配置されているゴミ籠を巡回し、ビニール袋のなかにゴミを収集してまわる。
 そのときのいそいそとした、というよりいっそ嬉々とした・・・と言いたいくらいの姿は、じつは女房はゴミ嫌いなのではなくゴミ大好き人間で、ゴミの収集が人生無上の喜びなのでは・・・と疑いたくなるほどだ。

 このゴミへの関心、というか執着は、もちろんキッチンでも発揮されないわけがない。キッチンで出る生ゴミは、特に夏場には臭気を発するので、生(ナマ)弟子に向けられる女房の管理の目も異常にきびしくなる。

 といっても、ポイントは単純である。野菜や魚肉など、くさると臭いを出す生ゴミは、くさらない一般ゴミと峻別して空の牛乳パックに入れ、厳重にふたをする。
 このツボさえ押さえて処理すれば、師匠の監視の目をパスできるのだから、使用済み核燃料の処理みたいに頭を悩ませる必要はない。頭と体の双方にガタがきているヒラ弟子のわしにさえ、それくらいのことは朝めしまえのオナラみたいなもんだ。

 ・・・と思っていたら、それでさえ、わがキッチンにおけるバトルの原因になるのだから、人生は複雑だ。

 ある日、玉ねぎのみじん切りを命じられた。

 その頃は、キッチン入りして3ヶ月ちかく経っていたから、こんな作業はどうってことはない。玉ねぎの刺激で多少目に涙がにじむが、老人性ドライアイにはちょうどいいや・・・てなもんだ。鼻歌まじりでやれる。
(車の運転は慣れてきたころに事故を起こす、というが、このときのわしも、慣れはじめてちょっと気がゆるんでいたのかもしれない。)

 作業の順序として、まず玉ねぎの皮をむく。
 玉ねぎはもちろん野菜だから、わが家の “ゴミ処理施行細則” によれば、生ゴミとして牛乳パックに入れなければならない。ところがこのときふっと思ったのね(こういうのを魔がさしたというんだろう)。
 玉ねぎのオレンジ色の外皮は、百%水分を失い、薄いセロファン紙みたいなもんだから、こっちでいいか・・・と、ひょいと一般用ゴミ箱に入れたのである。
 すると頭上へ鋭い声が飛んできた。
「ちょっとォ! その玉ねぎの皮、今どこへ捨てたのッ?!」
「えッ、ど、どこへって・・・」
 へどもどしているわしを、鋭角に吊り上った三角目がキッとにらみつけた。
「あんなにいつも言っているのに、どうしてそういうことをするのォ!」

 そもそもこの日、女房は最初からどこか不機嫌だった。
 仕事がうまくいっていないのか、体調が悪いのか、それとも他になにか隠された理由でもあるのか、口にする言葉や動作から出る雰囲気が、朝からどことなくキンキンしていた。
 おそらく彼女の腹の中の虫は、このとき相当トゲトゲした椅子の上に座らされていたに違いない。女房は続けた。
「野菜くずは牛乳パック、って、いつも言ってるでしょッ!」
「しかしねえ・・・玉ねぎの皮は、野菜というより紙だよ」
「玉ねぎが紙だなんて、いったいどこを押せばそんな言葉が出てくるの? 言葉は正確に使えっていう、いつものあなたの口ぐせはどこへいったの!」
「いや、だ、だから・・・」
「だからもお宝もないわ。言ったことは、ちゃんといった通りにして!」
「・・・何だよ、その口のきき方はッ!」
 けんめいに抑えていたわしの腹の中の虫も、ついに椅子から立ち上がってしまった。
「そもそもだよ、野菜くずを牛乳パックに捨てるのは、腐って臭いを出すからなんだろ。玉ねぎの皮は、首をかけてもいいが、絶対にくさらない!」
「ちがうの!」
「何がちがうんだ!」
「だから、ちがうのよッ!」
「だから、どこがどうちがうのかって、訊いてるんだッ!」
「野菜は野菜用に捨てなきゃ、気持ちが悪いのォ!」
「気持ちが悪い・・・」
 わしはブゼンとなって、しばし言葉が出なかった。
 しかしとつぜん、わが腹の中で虫が火を吹いた。それがかんしゃく玉に点火した。
「いいかげんにしろッ!」
 わしは、自分でも制御不能の力に操られて、やにわに流しにあった牛乳パックをひっつかむと、思いきりキッチンの床に叩きつけた。
 パックは、水っぽい鈍い音をだして床に転がり、あたり一面に生ゴミを派手に撒き散らした。

 立ち昇る臭気の中、わしはボーゼンと床に散らばった生ゴミの地図を眺めながら、今のパックの音は、子供のころ青大将の尻尾をつかんで地面に叩きつけたときの音に似ていたな・・・などとぼんやり思っていた。(つづく)

 (第6回はこちらから)

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キッチン・バトル -年寄りの水あそび-(5)” に対して 2 件のコメントがあります

  1. misa より:

    半ボケさんには、すみません。(読者として応援はしてますが)
    奥様の気持ちがよくわかります。神経の問題なの。ここの宿六も無神経なんだから。男ってそう。
    女には美学があるのですよ。真摯なのですよ。
    もちろん、例外多しですけどね。次の展開が楽しみです。

    1. Hanboke-jiji より:

      人間て、自分の体のなかにあるもの、自分が経験したこと以外は、
      本当には理解できない生きものなんですよねぇ。
      頭の理解は信用できません。借り物の理解だから。
      今更ながらの話ですけど、分かっちゃいるけど・・・ってやつです。
      そういう意味では、男と女が完全に理解しあうことは永遠に難しい
      んでしょうねぇ。
      それでケンカするか、視野が広がって人生が豊かになると思うか・・・。
      これも分かっちゃいるんですけどねぇ。

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