キッチン・バトル -年寄りの水あそび-(4)

キッチン

 前回までに述べたように、そもそもは退屈しのぎに端を発したわしの「厨房入り」は、最初からやや怪しい雲行きをはらんでスタートとしたのだった。〔前回までの記事はこちらから→(1)(2)(3)

 しかしまあ初日はほぼ見学で終始したので、なんとか冷たい雨にぬれることもなく終わった。

 パラパラと、あまり気分のよくない小雨が降りだしたのは、日が過ぎて「キッチン」に慣れるにつれ、少しずつ具体的な用を言いつけられるようになってからである。

 ある日、ほうれん草をひと束洗うように言われた。
 初めて言いつかったまとまった仕事だった。わしは少々緊張ぎみに、ていねいに水洗いをしてザルに入れていた。
 すると横から女房の手がにゅっと出てきて、
「こういう部分は捨てます」
 と言うや、やや茶色に変色した部分をちぎり取り、生ごみ入れに荒っぽく投げ捨てた。

 もともと短気の傾向があるわしは、その口調としぐさにムッとた。
「そういうことは、前もって言っといてくれなきゃ!」
 とやや声を高くして言うと、女房は一瞬あきれたような目で見返し、しかしわしが気色ばんでいるのを見てとると、
「そうね。・・・じゃ、こんどからそうしてね」
 と、妙にやさしげな、幼い子供でもさとすような口調で返した。しかし顔はあきらかに、
(そんなこともいちいち言われなきゃ、自分で判断できないの?)
 と言っていた。

 ま、言われてみりゃ確かにその通りだだから、わしもそれ以上は抵抗しなかった。
 ただ、当時「指示待ち族」とかいわれて、指示されなきゃ何もできない近頃の若いもんと同様に扱われたのか・・・と思うと、悔しいモノが腹の底に残った。
 もっともいまこうして書いていて思い返してみると、現に指示されなきゃできなかったんだから、クヤシイというのは逆恨みに近いんだけどね。でもその時はやっぱり何かクヤシカッタんだよね。

 上に述べたケースは、まあ、いくぶん女房に分(ぶ)があったかもしれん。しかし彼女の言うことで、いや失礼師匠が指導してくれることで、どうしても納得できなかったこともあった。

 たとえば、皿や茶碗などの食器をあつかうとき、「音を立てないで!」とうるさく言われたことだ。
 もちろん食器が音を立てるのはぶつかるからである。ぶつかると、陶磁製の食器は割れたり欠けたりする。そういうミスを避けるというのが理由だ。
 女房はなんども、次のような “指導” をした。
「お皿やお茶碗を水切りトレイから取るときは、もう一方の手をそえて、他のお皿やお茶碗を押さえながら取るのよ」
 ところが、この高級な指南どおりに鋭意ハイスキルを駆使しても、やはり多少の音は出る。
 するとたちまち注意の声が飛んでくる。声が飛ばないときはきつめの目線が飛んでくる。

 そういうことが何度か重なって、ある日わしはついに、ふるえる勇気をふるい起こして異議を申し立てた。
「オトオトっていうけど、音が出ようが出まいが、要するに割れなきゃいいんだろ?」
「ところが割れるのよ」
 女房もオトなしくしてはいない。ふちが小さく欠けている皿をどこからか取りだして、わしの目の前に突き出して見せた。
「こんなふうになるの!」
「いや、だから、オレが言っているのはだよ・・・皿や茶碗が割れることが問題なんであって、音がするかどうかは本質的な問題ではないのじゃないのか、って言ってるんだ」
「認識不足です!」と女房は即答した。「音がするときは、欠けたりヒビが入るケースが多いのよ」
 彼女はもうひとつ、別の細くヒビの入った茶碗をとり出して見せた。

 こんなふうにどこかが微妙にすれ違って、合わない入れ歯で生コンニャクを噛んでるようなケンカになるのは、まあわが家では珍しいことじゃあない。つい、生来短気なわしの性癖が頭をもたげて、
「あ~あ・・・こんなことやってられんな!」
 と不用意につぶやくと、
「あら、まちがえないで。あなたの方からやりたいと言いだして、始めたのよ。それ忘れないで!」
 これを言われるとわしも弱い。しかし黙っていると、相手の一方的勝利を認めることになるので、
「だからそれは・・・オレが手伝えば、少しはきみもラクになるんじゃないか・・・って思ったからじゃないか」
「あら、ほんと? でもその割にはこうしてしなくてもいいケンカをしたりして、少しもラクになってないじゃない?」
「そんな言い方はないだろ!」
「じゃ、どういう言い方をすればいいの? あなたが料理を習いはじめたほんとの理由を言えばいいの?」 
 これで、勝負あり! だ。
 結局わしは、口の中に大さじ一杯分の砂を放りこまれたような顔をして、すごすごと尻尾を股ぐらに入れて口をつぐむわけだ。

 ・・・とまあこういったラチもない、野良イヌも跨いでいきそうな愚かな夫婦げんかを、わしがキッチンに入ったことで日々新たに生産することになったのである。

 4,5歳の子供の兄弟げんかじゃあるまいし、顔にシワ豊か、頭に毛の乏しい老人夫婦が、大まじめにこんな喧嘩をやってるなんて図は、まあどこから見てもコッケイな光景であることは間違いない。

 しかし、このていどの小ぜりあいですめば、時雨に遇った衣服同様、パンパンと雨滴をはらっておけばやがて乾く。

 しかし、たまたま一方の、もしくは双方の腹の虫のいどころが悪いと、出発時点では小雨だったのに途中から大雨になって、中までぐっしょりぬれてしまうこともある。(つづく)

ポチッとしてもらえると、張り合いが出て、老骨にムチ打てるよ

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