キッチン・バトル -年寄りの水あそび-(6)
この連載記事も最終回である。〔前回までの記事はこちらから→ (1)(2)(3)(4)(5)〕
キッチン・リング上で勃発した戦闘が生んだ夫婦のミゾを、なんとか修復してふたりの関係を原状にもどすのには、結構時間がかかった。エネルギーも要った。
それにしても・・・今頃になってナンだが、なんでまたわしはこんな話を書き始めたのかと思う。引っ返すにはちょっと遅すぎるが・・・。
で、最後に、この不様にして不毛なバトルのソーカツでもして、ソーソーに長くなった当記事の幕を下ろすことにする。。
この喧嘩のあと、わしは半月ほどキッチンに入らなかった。
その間、自分のなかに生起するさまざまな感情のあれこれを、ヒマにまかせてぼんやり眺めていて、ふと気づいたことがある。
第1回めの記事に書いたように、わしがキッチン入りを始めたのは、窒息死すれすれの退屈時間をごまかすためだった。これまでずっとそうだと思っていた。
ところがひょっとすると、それは違うんじゃないか、とふと思ったのである。「退屈時間をごまかすため」というのは、じつは「自分自身をごまかすため」の口実だったのではないか、と。
話が少しそれるが、その当時よりさらに何年か前に、知人からこんな話を聞いたことがある。
その方のお母さんは95歳まで生きて亡くなられたのだが、90歳をすこし過ぎたころに、頑強に食事をとることを拒否して、衰弱が進み病院に運びこまれたことがあった。
当時そのお母さんは心身の健康にこれといった問題はなく、愛情深い娘さんご夫婦のゆきとどいた世話のもと、どこから見ても恵まれた余生だった。
その、客観的にはこの上ない幸せな境遇におられたお母さんの入院の事情を聞いたとき、わしにはピンとくるものがあった。
そのお母さんは、今やなんの役にも立たなくなった自分の存在そのものを、死以上に重く苦痛に感じられたのではないだろうか、と。
その方は、戦中戦後のたいへんな時代に7人の子供を立派に育てあげ、さらにご主人・・・寝たきりになり最後は認知症になられたご主人を、献身的な介護のすえに看取られた。
彼女がこの世に生をうけた役割は、すでに十二分に果たされたと言える。
しかも90歳を超えているのだ。もはや世になんの役に立たなくても、ゆりかごの中にいた赤ん坊のころと同じように、娘夫婦の愛情にすべてをゆだねて余生を送ることに、なんの不都合があろう。
にもかかわらず、自ら食を拒んでまでして死を望んだということは、人間は誰でも、またいくつになっても、生活の場に自分の役割がないといかにつらく感じるものか・・・ということを物語っているように思えてならなかった。
わしが「キッチン入り」を望んだのも、もちろん、退屈しのぎになるからという一面はまちがいなくある。しかしその奥のほうでは、生活の場に自分の役割が無くなるのを恐れたのではないか。
年をとって仕事を失っても、誰かの役に立つ自分をどこかに確保していたかったのではないか。たとえそれがどんなに小さなものであっても・・・。
もちろん世の中には、「ひとりの人間として、そして社会人としてやるべきことは十分にやってきたのだから、老後は役立たずで結構。誰に遠慮もいらない」と考えて、人の世話になることに負い目も卑屈もなく、堂々と余生を送っていらっしゃる方も多いだろう。
そう言えるのは、その方がそれにふさわしい人生をこれまで生きてこられた証しであり、現役・老後に一本太い筋が通っていて、わしなどそういう太っ腹な生き方が羨ましく感じられる。
ところがわしはその反対の細っ腹・・・つまり小心者なのだ。あまり上品でない言葉を使えば、「ケツの穴が小さい」のである。
しかしそれが自分の現実ならば、そういう自分を素直に認めて受け入れればいいのに、わざわざ「退屈しのぎのため」などと言い替えて自分までごまかそうとしていたのではないか・・・と思ったのである。
そこに気づいたとき、ようやく、キッチン・バトルによって生じた夫婦のミゾを修復するきっかけをつかんだのだった。
ともあれわしはこのとき、そのような自分を恥じた。
今こうして書いていても思うのだが、老いぼれてるくせに何かの役に立っていないと落ち着かない、という小心はまだ許せるとしても、その小心な自分を自分にごまかすために姑息な手まで考えだす小心は、ちょっと許せない気がする。
こういうのこそ、真正の「チキン(小心者・臆病者)」と呼ばずして何と呼ぼう。
本記事はそもそもタイトルを間違えている。「キッチン・バトル」ではなく、「チキン・バトル」と題すべきだった。
少々遅きに失した感はあるが、ここに訂正してお詫びをし、打ち枯らした尾羽をばたつかせつつ退散することにする。
どうでもよい駄文に長々と付き合わせてしまって、申し訳ありませんでした。
・・・と言うのも毎度のことなので気が引けるけど。
その〜〜お知り合いの話ですが、偶発的に私ごとと重なりました。この頃、佐江衆一作「黄落」の映画版を思い出してばかりいました。役者さん西村晃の遺作だそうです。奥様役の丹阿弥谷津子さん(ちょっとふっくら)が絶食死するのですが、いざとなったら、あのように私も遂行できそうな気がして何回もその場面を回想してました。
実は、インフルエンザに罹り、ガンガン頭痛、ギシギシ関節痛、食欲皆無、意識朦朧で床の中3日経過。その間中、餓死できそうな気がしてました。このまま逝けたらいいなぁって。また生き返ってしまいましたがね。
犬も食わない夫婦喧嘩をネット公開してくださって、ありがとうございました。
自分のチキン振りを内省して素直になるとは。立派な日本男児です。爪の垢を分けていただきたいものです。
佐江衆一さんの『黄落』は小説も映画も拝見していないので、
どういういきさつで奥さんが絶食死をされたのかわかりませんが、
世間にはやはりいるのですね、終着駅の車庫に入ってもまだ生きている
ことに苦痛を感じる人が・・・・。
misaさんもそのおひとりのようですが、私もそのもうひとりです。
ひとに迷惑をかけなければ生きていけないのらば、一日も早く
天然自然の元素に還り、あとのひとたちを楽にしてあげたいです。
役立たずになりたくない、お荷物になりたくない、存在価値が欲しい気持ちすごくわかる!
老年期の発達段階にあるんじゃないの?って思うくらい、同じ思いの人が居ると思うし、まさに私もそうなんですよ。
結局最後は、社会でも子供でも兄弟でもなく、夫婦だと思うんだよね♪
ただ、一つ私に分かることは旦那ってえのは、家事が出来なくてもいいんだよ(笑)
「しょうがない人、私が居なくちゃ何もできないくせに偉そうな態度で腹立つ人」と、人に愚痴を言える幸せが、女房と呼ばれる女性にはあるんだよね(笑)
買い物も、掃除も、洗濯も気が付きゃ「旦那は・・・旦那が・・・」が頭を巡り、結局のところ居るだけで毎日の生活に張りが出来て、体も頭もよく働くって主婦、結構多いと思います(笑)
だから、じじい!あなたは、盆栽とか菊作りとか女房に自慢するための趣味を見つけなされ♪
あっ!俳句があったね♪
若輩者がえらそーに、失礼いたしました(ペコリ)
>結局最後は、社会でも子供でも兄弟でもなく、夫婦だと思うんだよね♪
・・・・ってコメント、わしもそう思う。実際に、わが女房も70代半ばになって、
物忘れが激しくなり頭の回転速度をえらく落ちてきてからのほうが、愛情・・・なんて
コトバは恥しくて言えないけど、いとしい気持ちは増えた気がするわィ。
それと、
>「しょうがない人、私が居なくちゃ何もできないくせに偉そうな態度で腹立つ人」と、人に愚痴を言える幸せが、女房と呼ばれる女性にはあるんだよね(笑)
・・・・ってのが、世間一般の認識のもう一つ深いところをえぐっていて、勉強になったよ。
やっぱり「餅は餅屋」・・・じゃなかった「女のことは女に聞け」だな。