花ざかり老人芸
このあいだの老人仲間の飲み会で、なんとも情けない顔をしてぼやいていたのがいた。
「先だって病院に行った帰りにね、駅で改札を通ろうとしたら、扉みたいなのがバタンと閉まって、通せんぼ食らっちゃったの。あれ、スイカ、ついこのあいだチャージしたばっかりのはずだが・・・と思ってよく見たら、手にしてたのは病院の診察券だったよ」
こんなのは珍しくもない。老人のお得意中のお得意芸だ。それにしても、診察券で足代浮かせようなんて、やることがセコイやね、と突っ込まれてまた大笑いされていた。
老人の得意芸というと、自慢じゃないがわしにもある。わざわざ稽古したわけじゃないが、年の功でしぜんに身についた。
つい先日も、靴を履こうと思って靴べらを持ってしゃがんだら、思いっきりおデコを下駄箱の扉にぶつけた。しかも相手がしんちゅう製の把手部分で、痛いのなんのって。目から火がでるし(ふだんはショボショボしてても、こういう時はちゃんと火が出るんだよナ)、コブはできるし、コブのてっぺんには傷ができて、2週間ほど消えなかった。ふろでシャワーを浴びると湯がしみた。むかし「煙が目にしみる」という歌があって、人生のほろ苦さを唄ったものだが、シャワーがコブにしみる・・・ってんじゃ歌どころかグチにもならない。
そもそも下駄箱と頭が熱烈キスしたりするのは、近ごろとみに物との距離がつかめなくなったことに原因がある。
その “距離感の劣化” によって手に入れたわが老人芸はいろいろある。
その1。テーブルの上の湯呑みやコップを指先にひっかけて倒し、辺りを水びたしにする。
あわてて卓布巾を使っていると、その腕の肘が卓上魔法瓶を突き飛ばして、さらに大ゴトになる。当人は泣きゴトになる。
その2。茶碗やコップに、ティーポットやヤカンから中身を注ごうとして、容器の外にそそぐ。
その3。脱いだ衣服をハンガーにかけてなげしの釘に掛けようとするが、なかなか掛からない。いつまでも孤独に空(くう)をさまよう。
その4。”下駄箱にキス” と同類だが、床に置いてあるモノをやたら蹴飛ばす。べつに憎いわけじゃない。ただ相手がそんなとこに座りこんでいるのが目に入らないだけだ。
いちど急いでいてタンスの角を思いきりケ飛ばして、その猛烈な痛みに飛び上がったことがある。小指の先半分ほどが赤く腫れ上がって充血し、やがて黒変して黒曜石みたいにコチコチに固くなった。その黒い石が完全に小指の爪の下から消えるまで、5,6年くらいはかかったと思う。
”劣化距離感” とは別の理由で身についた老人芸もある。たとえば記憶動作がやや鷹揚になったために身についた芸。
その1。ヒマだしタダなので新聞小説をまいにち読んでいるが、前日とのつながりが分からなくなる時がちょくちょくある。アレ、なんで突然こんな話になるの? 支離滅裂じゃないか、と作者の筆力を疑うが、なんのこたァない、前日に書かれていたことをご自身がお忘れになっただけの話。それを作家のせいにするので責任転嫁のスキルが上がる。
その2。映画やドラマの登場人物の名前を憶えられない。あるいは無作為・順序不同で入り乱れさせる。とくに洋画において顕著。結果としてストーリーの理解に障碍がでる。しかし理解できないところは自分で勝手に補って見るようになるので、想像力→創造力が向上する。
その3。メモ力が躍進する。メモしないとすぐ忘れるので、何でもかんでもメモするからだ。
たとえば、知人の飼っている犬猫の名前を手帳にメモする。一度うっかり別のワンちゃんと混同して呼んで、えらくむくれられた(犬にではない)ことがあったから。人間の孫の名前はいうに及ばず。
視力の老化によって身についた芸もある。人や物を見まちがえる能力。
近くの家の玄関のまえに、シルエットが人間にそっくりの郵便ポストがある。夜その前を通ると、毎度のことなのにうっかり挨拶しそうになる。初期には実際にしたこともあった。こんばんは・・・なんて郵便ポストにあいさつしてるのを人が見たら、半ボケどころか全ボケだと思うだろう。
聴力の老化によるものは、このブログでもすでになんどか取り上げている。(→「耳が先か、口が先か、老いかけっこレース熾烈」/「耳と目、どっちがエライか」)
冒頭に書いた老人呑み仲間のひとりが言っていた。酒の会に誘われて嬉々として行ってみたら、郷土の歴史跡地を歩きめぐる会だった。「歩こう会」を「アルコール会」を聞きまちがえたらしい。
・・・ってこれは聴力の劣化というより、自制力の劣化のせいだナ。
こういう老人芸を挙げているとキリがないので、このへんでやめるが、最後にきのうわしが新しく開発した芸を紹介して、老人芸発表会の打ち上げとしよう。
昨日、外出するのでズボンを履きかえようとして、ズボンに片方の足を入れようとしたら、足が十分に上がらず、ズボンの尻ポケットに足先を突っ込んでしまった。
当然、体はバランスをくずしてオットットとなり、横っちょに1.5メートルほどケンケン跳びしてひっくり返った。
若者の路上ダンスに負けないとは言わんが、少なくともわしにとっては新・老人芸の開発であった。
こういうのは老人にしか出来ない特殊芸だ。
若い連中は逆立ちしてもできまい。しかも、年とともに努力なしに芸種がふえる。そこが何ともいえずスゴイ。
当ブログはこれまで週3回の更新を原則にしておりましたが、最近老骨がギシギシ言い出しており、折れてバラバラになって海へ散骨・・・てなことになると元も子もありませんので、今後は週2回の更新(月曜と金曜)を原則に致したいと思います。ご理解いただければ幸せです。