100歳の母心

正月の100歳の母

 このブログにもちょくちょく登場してもらっているが、女房の母親はことし100歳になる。
 わしらが住むところから電車・バスを乗り継いで2時間ほどのところに、独りで住んでいる。
 肉がそげ落ちて、まさに冬の枯れ枝のような小さな体ながら、ヘルパーさんに買ってきてもらった食材をみずから調理し、部屋の掃除や下着・シーツなどの洗濯も自分でやって(もちろん洗濯機の助けを借ります)、ひとりで暮らしている。

 毎年正月には、わしら夫婦はこの老母を訪ねて、いっしょに屠蘇を祝うことを習慣にしている。
 わしらのこの小さな正月に、今年はいつもにはないことがあった。

 おせち料理が皿の上からほぼ消えかけたころだった。老母がふいに居ずまいを正して座りなおした。
 あれ、どうしたのかな? と思っていると、真っ直ぐにわしの目を見ながら彼女は口を開いた。
「○○(わしの名前)さん、お願いがあるんだけど、聞いてくれる?」

 わしは瞬間的に、いよいよ来たかな、と思った。
 これまでは頑固に独り住まいを主張してきたが、さすがにそろそろ無理になったので、同居するか、もしくはどこか適当な老人施設に入れてもらえないか・・・という相談。

 もちろんその問題に関しては、わしら夫婦のあいだではすでに充分話し合ってあった。どう対応するかのハラも決まっていた。
「このあいだテレビで見たんだけど・・・」と義母はつづけた。「九州のほうに、天才的な鍼灸師さんがいるんですって」
「えッ? 鍼灸師・・・さん・・・ですか?」
「そう。その先生に鍼を打ってもらうと、どんな病気でも必ず治るんですって」
 老母の体のどこかに、具合の悪いところが生じたのかとわしは思った。いつ何があってもおかしくはない年齢だ。大正生まれのがまん強い人だから、黙っていたのかもしれない。義母はつづけた。
「でもね、その先生の名前や住所を、覚えられなかったの。・・・それに、申し込みをしても、半年とか1年くらいは待たされるらしいわ」
「・・・・」
「治療費も相当高いようなことを言っていたし・・・」
「・・・おかあさん、どこか悪いんですか?」
「え? 私? ・・・いやわたしじゃなくて、○○(わし女房の名前)のこと。○○はここにバクダン抱えているでしょ」
 義母は小さく縮んだじぶんの胸に、骨ばった手を持っていった。

 このブログでも何度か触れているが、わしの女房は心臓に持病を持っている。路上で発作をおこして通行人に救急車を呼んでもらったこともある。ふだんは小康を保っているが、ちょっと無理をするとすぐ具合いが悪くなるし、いつまた発作が出るか分からない。たしかにバクダンを胸に抱きしめている

 最近のテレビはどの局も医療番組をやっている。番組によって言うことがちがうし、中には素人のわしにさえいい加減だと思われるようなものもある。
 そんな番組のひとつで、天才的な腕をもつと評判の鍼灸師が紹介されたらしい。
 そしてそれを見た義母は娘の病気を、その天才的鍼灸師のワザで治してやってもらえないか・・・と娘の夫であるわしに頼んだのだった。

 母親が娘の持病を案ずることにふしぎはない。その病気を少しでも好転させるために、年が改まったのを機に、娘の連れ合いに善処を頼むのもまあないことではないだろう。

 しかし、その娘は75歳なのである。わしら夫婦は子供を持たなかったけれど、ふつうなら孫が何人もいておかしくないオトシゴロだ。
 そんな年齢の娘の体のことを、ほとんど骨に皮がまとわりついているだけのような体をした100歳の母親が、真剣に心配している。そして、年初にその年の望みを神に希うように、正月の朝、居ずまいを正して口にしている。

 別にどうということはないのだけれど、子をもつ親の経験がないわしには、そんな老母の姿がキラキラと輝いてみえたのだった。

 悪い正月ではなかった。

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