見渡せば・・・・
現在の小さなマンションは、住んでいる人間どうよう老骨である。
で、あちこちにガタがきている。
20数年ほど前、老母がまだ生きてここに住んでいた頃にも、床下の給水管に水漏れが生じ、階下の家の天井や壁に染みが広がって、大騒ぎになったことがあった。
修理を依頼した水道屋がとんでもないアクドイ工事屋で、べらぼうな代金を請求してきたのでカッとなった。
当時は当方も60代半ば。
まだ多少のエネルギーが残っていたので、老人とみて足元をすくうようなガラの悪いヤツとは徹底的に戦う気持ちになり、弁護士や一級建築家の応援まで借りて数ヵ月ほど争った結果、結局、工事代金を半額以下に下げさせたことがある。
それから20数年が経って、当方も老いさらばえてきたので、今回はそんな派手な話ではない。
・・・というより、誤嚥で小さく咳き込んだみたいなちっちゃな話だ。
玄関の天井に付いている電球が、先日、寿命がきて切れた。
白熱電球なので7,8年前にも切れて、わしが高い脚立に上がって取り替えたのだが、今回はもはやわしに脚立に上がる能力がない。
ここ数年のあいだに脳梗塞をやったり首の骨を複雑骨折したりで、今や足元がすっかりおぼつかなくなっている。うどんを箸なしで垂直に立てようとするようなものだ。
こんな足で脚立の上にのぼり、立ち上がって天井に手を伸ばしたら、間違いなく体が墜落して、あの世に手が届く。
認知症の女房がいるので、まだあちらには行けない。
わずか7,8年の間に、あからさまに体力が落ちてしまったことに改めて驚く。
秋の入り日の速いことを「つるべ落とし」に譬えるが、人間の落日の速いのも秋の日と同日だ。
新しい年が始まったばかりだけど、「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の
・・・」と古人が詠んだ秋の夕暮れの情景が、やたら目の前に思い浮かぶ。
やはり老骨は寂しい・・・。
当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。
数年前までは「日残りて昏るるに未だ遠し」(三屋清左衛門・残日録)と思っていましたが、私も「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」の歌が身に沁みて感じられます。
私も半ボケじじイ様と同様にパーキンソン病を病んだ女房を残して三途の川を渡る訳にはいかず、介護生活を続けねばなりません。「どこまで続くぬかるみぞ」とベランダで煙草を吸いながら、暗澹とした思いにかられる時もありますが、「所詮世の中なる様にしかならない。」家内と私どちらが先に逝くかは、私には決められず、お天道様にお任せするばかりと、半ば諦めに似た様な気持ちで、お気楽に過ごす事にしています。