お葬式プチ狂騒曲

お葬式

 生きてるとちょくちょく思うけど、人間というのはおかしな動物だ。
 人前(特に大勢の人の前)に出るとカッコよく見せようとしてあがってしまい、かえって不様な姿をさらす。・・・ってことがよくある。

 人間以外の動物では、そういう姿は見られないようだ。多数の仲間の前でいななく馬が、あがってしまってモーとかメーとか鳴きまちがえる、なんて話は聞かない。
 それを思うとつくづく、人間というのはまぬけな生きものだという感を強くする。
 
 話は変わるが、わしの年齢になると葬式に出ることが多くなる。
 正月から未だ日も経たぬ先日、古い友人のひとりが嬉しそうにあの世に旅立った。で、喪服を着て式に参列した。
 
 葬儀ではふつう、出棺前に喪主があいさつをする。
 当日があいにく雨だったりすると冒頭に、「・・・ご多忙の中、またお足元の悪い中・・・」と言うのがパターンのようだが、今回ではないけれど以前、「・・・ご多忙の中、またお足の悪い中・・・・」と言った喪主がいた。
 理由もなく参列者をまとめて下肢不自由者にしてどうする、と内心思わずツッコミを入れたら、頬がゆるみそうになって我慢するのにこまった。
 
 また、別の葬式だったが、「生前みなさまから多大なご便宜を賜りましたことを、故人に代わって厚く御礼申し上げます」と言った喪主がいた。

 ほんらいは「多大なご厚誼を賜り・・・・」と言うべきところだろう。
 祭壇に掲げられている誠実そうな遺影を眺めながら、そんな気配はチリほども見せないがこの故人の袖の下を、生きていた間はソートー量のモノやカネが通っていったのだな・・・と想像して、やはりゆるみそうになる唇を引き締めるのに苦労した。
 
 あと、今回でもそうだったが、葬儀に列席するたびにかすかに困惑することがある。焼香のときである。(日本に多い仏式の葬儀の場合)
 
 宗派によってやり方が違い、それぞれの作法の違いがわしの頭のなかに入っていないせいもある。
 が、ひとつは、ヘンな違和感を覚えることがあるからだ。
 
 お焼香はふつう、まず最初に喪主が行なう。
 そのあとに血縁の濃い順に行うようだが、一番最初にやった人(喪主)が行なった通りに次の人も真似てやることが多い。さらにその次の人も前の人に従う。わしが経験した葬式ではたいて、珠数つなぎのようにずるずる前のひとと同じやり方で焼香する。

 以前、亡くなった人がどの宗派か知っていたので、あらかじめその宗派の作法を調べていったことがあった。ところが理由は分からないけれど、喪主がそれとは違うやり方で焼香した。
 で、その後につづく人もみな同じやり方を踏襲した。
 となると自分だけ違ったやり方をするのはやりづらい。たとえそれがその宗派の正しい作法であってもだ。目立つし、いかにも知識をひけらかしているようでもある。
 で、結局、わしも前の人たちがやった通りにした。内心なんとなく矛盾を感じながらも・・・。人と違うことはやらない、という日本人のウツクシキ国民性である。
 
 お焼香のさい、なんとなく落ち着かなくなることがもうひとつある。
 多くは焼香する前に、遺族席や一般弔問者席へ向かって軽く一礼するが、そのやり方がちょくちょく混乱するから。

 弔問者席はだいたい2つのグループに分けられている。祭壇に向かって右側が親族席で、左側が友人知人などの一般弔問者席であるのが普通。
 喪主は焼香するまえに、その両方の席にそれぞれ一礼する。忙しいなか駆けつけてくれた人たちに喪主がそうするのは、マナーにかなっているだろう。
  
 ところがあとにつづく人たちが、喪主の真似をして同じようにやるので、ちょっとおかしなことになる。

 一般弔問者が遺族席へあいさつをしたあと、そのまま焼香台へ行きかけて、あわてて一般弔問者席へ向き直り、礼をする者がけっこういる。平静を取りつくろっているが、うろたえているのがありあである。

 そもそも遺族ではない一般弔問者は、僧侶と遺族席に一礼したあとは、そのまま焼香台へ進むのが正しいらしい。
 
 たしかにその方がスジが通っている。内容から考えても、一般参列者が別の参列者にあいさつする理由はない。お互い貴重な時間をつぶされて災難だねぇ・・・と慰め合っているのならべつだけど・・・。

 ややこしいのは時間節約のためだろう、ひとりではなくふたり並んで焼香すことがあるきだ。
 葬儀社員に案内されて導かれたふたり弔問者の動作が、スケートのペアダンスのようにきれいに一致していれば問題ないけど、コンビの練習をしてきたわけではないので、両者の振る舞いがまちまちであることのほうが多い。なんとなく見づらい。

 さらに、遺族席に一礼をしたあと弔問者席のほうへ向き直るさい、ひとりは右回りに、他方は左回りに動くこともある。見苦しいだけでなくこのふたりは仲が悪いのかと思ってしまう。
 たまにだがふたりの間に距離がなくて、向き直るとき体がぶつかるそうになり、慌てる場面もある。
 
 死者と最後の別れをする厳粛な(・・・とされる)場なので、みな取り澄ましているけれど、喪服の下ではヘソがお茶を沸かしそうになっている人もいるだろう。
 
 ま、ことほどさように、万物の霊長などと言っているが、人間は生まれてから死ぬまでまぬけなことをして生きる動物だと思う。
 
 何よりその凛たる見本みたいのが自分である、という自覚もありマス、ハイ。
 

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