夫婦のなわばり争い
どこか虫の居所が悪かったのだろう、女房が前後の脈絡もなくとつぜん怒り出した。
テレビを見ながら食事をしているときだった。それまではごくごくふつうの様子だったのだ。
ところがテレビ画面にあらわれた一場面が、彼女のなかのある感情を刺激したらしい。急に声高になり、嫌味たっぷりの声をあげ始めたのである。
そのときテレビは、ある売れない若い芸人の下宿を映していて、へやの鴨居に、彼の衣服が数着ぶら下がっていた。
実は、わしもジョギングのときに着る下着を、自部屋の出窓のカーテンレールにぶら下げている。毎回汗を多量に吸うので、クロゼットや押入れに入れると、汗の臭いが他の衣類に移るし、毎日かならず着たり脱いだりするので、窓際のカーテンレールに引っかけるのが手軽なのだ。
だが、そういうのを女房が見ると、彼女の美意識の針はマイナスへ振れるらしい。こんなものをこんなところにぶら下げて・・・となるわけだ。
でもそのことでいちいち文句は言わない。彼女も一応自分を抑える努力をする。”小言幸兵衛” みたいに思われたくないのだろう。
で、時間がたてば腹にたまる。そして、限度をこえると噴き出す。
先日の食事中のとつぜんの小爆発もそれだった。
テレビがたまたま映し出した芸人の部屋の光景が、女房の腹にたまっていたものに火をつけたのだ。
「あなたの部屋も、あの芸人の部屋といっしょね! キレイなものがいっぱいぶら下がってて・・・。でもわたし、ああいうのダ~イキライッ!」
とつぜん手榴弾を投げつけられて、最初はとまどったが、そのうちわしの感情も波立ってきた。
「そんな小さなことで、食事中に大声出すなよ!」
「小さい大きいじゃないわ。そんなふうに、わたしが嫌いなのを知っていながら、いつまでも直そうとしないあなたの姿勢がイヤなの!」
わしは膨れてくる感情をけんめいに抑え、声を低くして言った。
「親も、生まれた場所や時期もちがう人間だよ。そんな男と女が同じ屋根の下で暮らしてるんだ。自分の好みをやみくもに相手に押しつけてたら、どだい夫婦なんて成り立たないよ」
「あら、夫婦はお互いに相手を思いやって、その思いやりを重ね合わせることが大切だって、あなた、いつも言ってなかった?」
たしかにたびたび言っている。わしは思わずことばに詰まる。女房は勢いをえてつづける。
「相手の嫌いなことはしないようにする・・・・それも夫婦の思いやりのひとつじゃないの?」
「それはたしかにそうだ。だが、何から何までそうしようとすると、身動きできなくなる。大切だからといって一から十ままでそれに縛られてたら、息がつまっちまうよ」
「どういうこと? もっと具体的に言って」
「だから、たいして重要でない小さなことは、ちがいはちがいとして認めて、受け入れる。自分の嫌いなものだからといって、何でもかんでも排除しようとしない。それも思いやりのひとつだと思うがちがうか。
もちろん、自分が生きていく上で絶対に譲れない価値観や感性の違いなどは、じっくり話し合って調整すべきだろう。だがそれは感情にまかせて持ち出すべきことじゃない。きちんと向き合って、時間をかけて話し合うべきことだと思う」
「・・・・」
「それにね、いま問題になっている、きみの嫌いな衣類の扱い方だけどね、それはオレの部屋の中だけのことだ。きみの守備範囲を荒らしているわけじゃない。きみの管轄下にある台所や居間、きみの仕事場や寝室でわしは自分のやり方を押し通そうとしているわけではない。つまり、わしが一日のほとんどを過ごす自分の部屋ぐらいは、わしはわしのやり方でやりたい。なぜならそれは、ふたりの生き方の根幹にかかわるような問題ではないし、だいいちきみがオレの部屋に入ってくるのは、一日のうちのほんのわずかな時間だけじゃないか。つまり許容していい範囲のなかに入るものだと思う」
もちろんこれはわしが書いているのだから、わしの言い分を優先させていると思う。女房が書けば、また違う書き方になるかもしれない。
ともあれ、こんなふうな犬も喰わない夫婦喧嘩をやったあと、わしは以前に見たテレビ番組を思い出していた。NHKが毎日曜の夜に放送している『ダーウィンが来た!』のなかの1篇である。
そのときの放送は、世界一小さい鳥といわれるマメハチドリを扱っていた。
大人の親指くらいの大きさの小さな鳥だが、その小さな生きものが苛烈ななわばり争いをやっている所をリアルに捉えていた。自分の守備範囲(なわばり)に入ってきた侵入者を追い払おうと、驚くほどはげしく戦っていた。その映像を思い出した。
生きものの縄張り争いは、ほとんど宿命みたいなものだけど、人間社会の最小単位である夫婦・親子の間にも、なわばり争いはあるんだなァ、とあらためて思った。
もっとも世界最小の鳥のそれと比べても、わしらのはずいぶん甘っちょろいけどね。だから犬も食わないんだろうなァ。