フキ乙女救出作戦
この時期になると、わしら夫婦には欠かせない季節行事がひとつある。
一日、フキノトウを採取するために、朝から周辺をへめぐり歩く習わしである。
手作りのフキノトウ味噌を、温かいご飯の上にのせて食べるのが大好きなのだ。
と同時に、実はある苦い思い出もいっしょについてくる。
当地へ引っ越してきた最初のころ(1990年代始め)は、フキがトウを出す草むらはまだ近辺にけっこう残っていた。
が、時ともに、そこに家が建ったり駐車場ができたりして、狩り場(採集場所)探しに苦労するようにになった。
車か、せめて自転車でもあれば緑の多い郊外へ遠征し、大漁旗をひるがえして帰ってくることもできると思うが、ちょっと長く歩くとすぐネを上げる老いた二本足しか持たないわしらは、やはり周辺を歩きまわって丹念に探すしかなかった。
それは10年前、わしが70歳すこし前ごろの春先のことだった。
近場の思いがけない場所に、大漁旗も夢ではない狩り場を発見した。
枯れた雑草の中に、新鮮な黄緑の緑のフキノトウが群生しているのを発見したのである。
そこは住宅地の中の、針金のフェンスで囲まれた一画だった。
ただ、そのフェンスの中へ入る一つしかない扉には、でかい南京錠が掛けられていた。
たぶん地価の値上がりを待つ私有地なのだろう、外部の者の侵入を厳しく拒否する構えだ。
それゆえだろう、そこには、他とは明らかに違うみずみずしいフキノトウがたくさん顔を出していた。
しかしこのまま放っておくと、今は若々しい彼女らもすぐにトウが立って、老残をさらすことになる。
それではあまりにもかわいそうだ・・・と思って眺めていると、彼女らは強欲因業な地主に囲われた清純な乙女たちのように見えてきた。
「早くあしたちをこここから救いだして!」とわしに嘆願しているかのように思えた。
そのときは幸か不幸か日曜の早朝で、辺りに人気(ひとけ)がなかった。
フェンスの高さはわしの目の辺りくらいだ。上部は針の突き出たバラ線ではなく、すべすべした鉄の棒が横に渡されている。
これなら飛びついて鉄棒に這い上がり腹を滑らせれば、乗り越えられるかもしれないと思った。
が、女房は強い口調でとめた。いい年をして年寄りの冷や水みたいなことはやめなさい、と言いたかったのだろう。
しかしわしはひるまなかった。義を見て為さざるは勇なきなり、美味への垣根を越えざるは甲斐なきなり、とわれとわが身に言い聞かせ、カミさんが別のところへ探しに行って居なくなるのを待って、老骨にムチ打ち、老肉を叱咤して挑戦した。
すると、まさに案ずるより産むが易しであった。割りあい容易にフェンスを乗り越えられたのである。
ヨダレを垂らさんばかりに鼻の下を長くして、新鮮な若い娘たちをスーパーのビニール袋の中へ救出したのはいうまでもない。
ところがである。そのあとに思わぬ事態が待っていた。
さすがにわしもそこまでは予想しなかった。まさに行きはよいよい帰りはこわい・・・。
外からは気づかなかったが、フェンス内側の地面が、外側より10センチほど低くなっていたのである。
この状況で10センチの差は老人には大きい。若者の1メートル差と同等だ。どんなに必死になって飛びついても、どうしてもフェンス上部の鉄棒に体を載せられない。若いときなら何でもなかったことができない。
何度か繰り返すうちに、もともと経年劣化を起こしている腕や足の筋肉が疲れてきた。
必死に飛びついても鉄棒に体を載せる前にずるずるとずり落ちる。
もし女房がいたら、それ見たことか、と言われるのは必至だ。
いやそれよりも何よりも、この寒空の下、このまま外へ出られなくなったらどうしよう、と思うと青くなった。
そのうち人が集まってきて騒ぎ出したら・・・。ああ、それだけは絶対に避けたい! 死んでも避けたい!!
わしは十分ほど体を休めた。じっとすわって体力の回復を待った。
そして、フェンスから3,4メートル離れたところから助走を開始し、勢いをつけフェンスに飛びついた。
クモの巣にかかったトンボみたいだった。が、恥も外聞もなかった。とにかく、この刑務所の運動場みたいな囲いの外へ出たかった。
何度かこの「助走→飛びつき」を繰り返した。ほかのことは何も考えなかった。
そしてようやく何度目かに、なんとかフェンスの上へみぞおち辺りを載せることができた。
それからさらにジタバタして、必死に左足のかかとを上部の鉄棒にひっかけた。
が、そこから体全体をフェンスの上へ上げるのがまた大仕事。
すでに腕や足の筋肉が極度に疲労している。
しかしここでくじけたらもはや後はない。寒空の下の囚人になるのは100%の確率でうしろで待っている。
老人にも火事場のバカ力というのはあるらしい。なんとか体をフェンスの上へ引き上げた。
金網の外に出たあと、わしはへなへなと地面に崩れ落ちて、しばらく動けなかった。
女房が戻ってきたとき、服の下ではまだ体が小刻みに震えていた。
が、さりげない顔をして、救出してきたフキ乙女たちを見せた。女房は、
「あら、たくさん採れたわね」
と言ったきりだ。これを採るのにどれだけ莫大な努力と労力を費やしたか、分かっていない。
で、ねぎらいの言葉が足りない、と不満だったが、黙っていた。やぶへびになるのを恐れたからね。
・・・というわけでこの年の「フキノトウ味噌」は、例年よりひとあじ苦味が強かったのである。