ガラス戸の蛾

見えない壁

 居間と庭のあいだを仕切るガラス戸だった。
 畳1枚ぶんくらいある大きなガラスが嵌められた引き戸である。

 わしはそのとき、そのガラス戸越しにぼーっと庭を眺めていた。
 朝から何とはなく気持ちがうっ屈していて、いすの背もたれに体をあずけながら、何を考えるでもなく、何を見るでもなく、寝そべった老犬のような視線を庭へ投げかけていた。

 と、その視野のなかに、何か動くものがあるのに気づいた。
 焦点を合わせると、それはガラスに取りついた小さな蛾だった。寒い戸外から温かい室内へ入りたいのだろうか、バタバタと翅をばたつかせながら、際限なくガラス戸のガラスにぶつかる行為をくり返している。

 この蛾にはガラスが見えてないのだろうな・・・とぼんやり思った。
 前へ進めないのは、目には見えなくても何かがそこにあって、邪魔をしていると考える脳力さえもなくて、馬鹿みたいに同じムダな行為をくり返している。何という愚かしい哀れな生きものであろうと。

 かすかな憐れみとともにそんなことを漠然と頭の片隅に浮かべていたわしは、ハッとした。垂れ下がっていた瞼が一瞬すこし開いたかもしれない。
「これ、蛾だけの話じゃないぞ」

 下等な虫の何百倍何千倍も大きな脳をもっていて、いまやAIとかVRとかまで手に入れているいる人間だって、別のところでは、目の前にいるこの虫と大して変わらないことをやっているのではないか・・・と思ったのだ。
 早い話、自分自身を振り返ってみても、思い当たるふしにすぐ思い当たる。
 虫けらを憐れんでる場合じゃないぞ、と思ってわしはブルっとしたのである。

 人間には、人生途上で何かにぶつかってどうしても先へ進めず、ジタバタすることがある。
 原因や理由が見える場合はいい。しかし何が行く手を遮っているのか、まったく見えないときもある。

 いちばん深刻なのは次のようなケースだ。
 人間はだれしも、子供のころにふれた映画やマンガ・小説などのヒーローを夢見ることがある。大きな大会で活躍したスポーツ選手に憧れることもある。それが昂じて自分も同じ職業につきたいと熱くなり、実際にその道に足を踏み入れる者もいる。

 スポーツ選手やバレリーナなら、実力がすぐ見える形で現われるからまだいい。
 しかし、その職業に必要な資質や才能がほんとうにあるのかどうか、簡単には見えない分野もある。そうした場合には、人生のうす暗い空洞にはまり込んでしまうケースが出てくる。頑張ってもガンバッテも光は差してこない。
 いま目の前でガラス戸にぶつかり続けている蛾と、どこが違うだろう。

 そんなことを思いめぐらしながら、いっそうグルーミーな気分になったわしは、アレ、ともう一度目を開いた。
 ガラス戸の蛾はそれまでずっと、外から内へ入ろうとしているものとばかり思いこんでいた。が、少しちがう感じがある。
 わしはいすから立ち上がり、ガラス戸に近づいて確かめた。
 蛾は室内に居た。
 室内から外へ出ようとしてあがいていたのである。

 うっ屈がさらに重くなった気がした。
 根拠のない無意識の先入観が、対象を正しく見る目をさえぎっていた。

 人間は誰もがもっている先入観。
 それが見えないガラスとなり、行く手をはばむ。 

 やれやれ、人間はめんどくさい。
 蛾のほうがまだましかも。

ポチッとしてもらえると、張り合いが出て、老骨にムチ打てるよ

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