人間って人間だ
のっけからナンだが、女房の父親は “旧家族制度の父親像” の権化のような男だった。それも、その悪い面だけをていねいに身につけた・・・。
たとえば、戸主であり家長である自分の意にそわないことは、何であろうといっさい家族に許さなかった。またどのように理不尽な要求でも、家族が応えないと手厳しく追及した。要するに自分の意に染まない家族の振るまいを決して看過しなかったのである。つまり家庭内における絶対的帝王であった。
配偶者(義母)には財布を渡さなかった。毎月一定額を手渡して、それで家事全般を賄わせ、月のおわりに使途明細を細かくチェックした。
食事が気に入らないと箸をつけず、その場で新しく作り直させた。
子供たちが大学に入って家を離れたときは、「毎日かならず」その日の行動を手紙で報告させた。はがきでよかったのだが、一日でも欠かすと厳しい叱責とペナルティを与えた。
何かの理由で不機嫌になると、1週間くらい平気で・・・ひどいときは1ヵ月も口を利かなかった。家族たちは不機嫌の理由もしくは原因が分からないので、いつもビクビク上目づかいに父親の機嫌をうかがいながら生活しなければならなかった。
簡単にいえば義父はそういう人間だった。だがそのぶん、自分に対しても厳格で(・・・とわしは想像していた)、厳しく自己を律して勉強や仕事に励んだのだろう、一流大学を出て大手金融会社に入り、支店長から最後は重役にも列なった。
外側から履歴だけをみればリッパな男だが、家族は・・・とりわけ子供たちは、そういう権威主義と身勝手で固めた石のような父親に、強い反発や嫌悪を禁じえなかった。
話は変わる。
わしら夫婦は先月に引っ越しをして、女房の実家へ移った。義父は20年ほど前に亡くなっているが、100歳ちかくまで生きた義母がついこの間まで住んでいた家である。
話は変わる。
わしら夫婦は先月に引っ越しをして、女房の実家へ移った。義父は20年ほど前に亡くなっているが、100歳ちかくまで生きた義母がついこの間まで住んでいた家である。
わしらは転居に当たり、先住者の遺していったモノを整理したのだけれど(その様子は2019年9月2日の当ブログ『年をとってから引っ越しするとこうなる(2)』に詳しく書いている)、母親はもちろんだが父親が遺していったものも、ほとんど手付かずのまま残っていた。急な死で自分で整理できなかったこともあるが、そもそも明治および大正生まれだった彼らは、モノを捨てられなかったのだ。
実は、その義父が遺していったものの中に意外なものを発見した。
某画家の個展の半券である。
きれいな紙に包まれて保存されていたが、この半券以外にこの手のものはなかったから、よほど思い入れの強い個展だったのだろう。会場にわざわざ足を運び、その記念の半券をこうして大切に保存してあったのだから、たとえば横山大観とかブリューゲルやフェルメールといった、権威の殿堂に祭りあげられた大画家の個展だったと思うかもしれない。
実は、その義父が遺していったものの中に意外なものを発見した。
某画家の個展の半券である。
きれいな紙に包まれて保存されていたが、この半券以外にこの手のものはなかったから、よほど思い入れの強い個展だったのだろう。会場にわざわざ足を運び、その記念の半券をこうして大切に保存してあったのだから、たとえば横山大観とかブリューゲルやフェルメールといった、権威の殿堂に祭りあげられた大画家の個展だったと思うかもしれない。
ところが違ったのである。
思いもしないことに中原淳一の個展であった。
中原淳一といっても、今の若いひとは知らないかもしれないが、知る人ぞ知る画家である。とくにある年齢から上の女性であれば知らない人はいないかもしれない。
というのは戦前から戦後にかけて、独特の筆致で少女像を描いて一世を風靡した画家だったからだ。竹久夢二と比肩されるような・・・。
どのような絵かというと、日本画の美人画を思いっきり通俗化したような、アンリアルな美少女画である。
いうなら少女漫画の元祖のような絵だ。どこを見ているのか分からないような潤んで非現実的な大きな眼(高飛び込み競技だってできそうだ)、ぎゃくに眼の半分もないサクランボのように小さく赤い唇、食べたものが通る際に渋滞を起こしそうな細いウェスト、育ちのわるいネギみたいに今にも折れそうな細く長い脚・・・。
かつて日本中の乙女たちを熱狂させたこのような絵と、帝王として君臨し絶対的服従を家族に強いただけでなく、会社での仕事も並み以上にやりとげた固い岩のような男。この二つを結びつけたものはいったい何だったのだろう・・・とわしは驚きにちかい違和感をもった。
しかし考えてみると、ある意味でこのアンバランスさ・・・というか意外性こそ人間の人間らしさだ、と言えるのかもしれない。
・・・と考え直しながら思い出した。
思いもしないことに中原淳一の個展であった。
中原淳一といっても、今の若いひとは知らないかもしれないが、知る人ぞ知る画家である。とくにある年齢から上の女性であれば知らない人はいないかもしれない。
というのは戦前から戦後にかけて、独特の筆致で少女像を描いて一世を風靡した画家だったからだ。竹久夢二と比肩されるような・・・。
どのような絵かというと、日本画の美人画を思いっきり通俗化したような、アンリアルな美少女画である。
いうなら少女漫画の元祖のような絵だ。どこを見ているのか分からないような潤んで非現実的な大きな眼(高飛び込み競技だってできそうだ)、ぎゃくに眼の半分もないサクランボのように小さく赤い唇、食べたものが通る際に渋滞を起こしそうな細いウェスト、育ちのわるいネギみたいに今にも折れそうな細く長い脚・・・。
かつて日本中の乙女たちを熱狂させたこのような絵と、帝王として君臨し絶対的服従を家族に強いただけでなく、会社での仕事も並み以上にやりとげた固い岩のような男。この二つを結びつけたものはいったい何だったのだろう・・・とわしは驚きにちかい違和感をもった。
しかし考えてみると、ある意味でこのアンバランスさ・・・というか意外性こそ人間の人間らしさだ、と言えるのかもしれない。
・・・と考え直しながら思い出した。
明治生まれの義父には、趣味といえるものはなかったと思っていたが、思い返してみれば、歌を詠むことが趣味だった、と言えば言えるように思う。学生時代に始めて、サラリーマン時代は途絶えていたようだが、定年後にまたはじめて地元の歌会にも参加していた。
そして彼の詠む短歌のなかには、現実の義父・・・ゴチゴチの “旧家族制度の権化” とはちがった素直な人間の一面が詠まれているものも含まれていた。
たとえばわしは、義父の詠んだ次のような歌が好きである。
文(ふみ)読みてこころ昂ぶる束の間や生きるを幸(さち)とわれは思うも
たとえばわしは、義父の詠んだ次のような歌が好きである。
文(ふみ)読みてこころ昂ぶる束の間や生きるを幸(さち)とわれは思うも
お知らせ
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。
ポチッとしてもらえると、張り合いが出て、老骨にムチ打てるよ