真坂の人生

 人生には、上り坂、下り坂、まさかの坂、の三つの坂があるという話を聞いたことがある。
 
 たしかに人生にはツイているときとツイていないときがあり、さらに「上り」でも「下り」でもない「まさか」の坂もある、というわけだが、まあうなずける。
 
 そこで80年余に亘るおのれの人生を振り返ってみると、残念ながら「上り」少なくして「下り」多く、それ以上に「まさか」の坂が多かったような気がする。数えきれないくらいで、いちいち覚えていないが、人生を変えるような大きな「まさか坂」はさすがに覚えている。
 
 当ブログのプロフィールでもちょっと触れているけれど、最初の大きな「まさか」は高校時代に出会った。
 
 話がちょっと飛ぶが、わしは子供のころから何でもすぐにバラバラにするのが好きだった。さすがに人間には手を出さなかったけれど、オモチャでも機械でもすぐに解体する。そしてまた組み立てる。元に戻るのは3割に満たなかったと思うが、それをやっているとあっという間に一日が終わった。
 
 そういうバラシ好きに関係するのかどうか、小学・中学は算数・数学が得意で、予習・復習をしなくても理解できた。

 中学時代は、親のなにげない話からだと思うが、大人になったら建築家になりたいと思った。が、途中から飛行機の設計士に変わった。ライト兄弟の伝記を読んだからだ。そのていどの子どもっぽい動機だったのだが、そうと腹を決めると建築家のときよりはるかに大きなワクワク感があって、ヒコーキに関するさまざまな本を夢中で読んで夢を羽ばたかせた。
 
 ところが高校に入ると、数学の教師とウマが合わなかった。・・・にとどまらず対立した。具体的な最初のきっかけは覚えていないから、小さなことだったと思うが、次第にエスカレートして、その教師の数学の時間になると、これ見よがしにに英語の教科書を出して英語の勉強をはじめたりした。いかにも子供っぽい振る舞いだったからだったろう、教師は見て見ぬふりをしていた。
 
 70年近くもむかしの話なので名前をだしてもいいと思うが、その数学教師は「森」という姓だったので、数学のテストの答案用紙に答えの代わりに、「森山に咲けるハナ毛は色黒し」みたいなことを書いて提出したりもした。
 
 こういう甘ったれたコトをができたのは、わしの性格がほんらい軽薄でお調子者であることもあるが、教室でやりたい放題をやっても教師が表立って怒らなかったからだ。
 そしてそれには理由があった。じつは彼は小学校時代わしの父親の教え子だった。偶然それを知ったときは驚いたが、それがかえってアダとなり、わしを図に乗せた。結果、事態はどんどん悪いほうへ進んで、数学はもちろん、関連教科の物理や化学など理系の成績が急降下し、ヒコーキの設計をやるという夢は墜落した。バカ者の見本である。
 
 わしは当ブログの「プロフィール」欄に書いている。
 「(前略)やむなく大学は入試に理系科目のない文系へ進み、道を誤る。
 以後、誤りっぱなしで今日に至る。
 至った所がすでにあの世にほど近い『今ココ』」
                  ( →「プロフィール」
 
 これがわしが人生で最初に出会った「まさか」の坂である。
 人生を180度回転させたのだからバカにできない。
 ・・・というか、クヤシイ。
 
 しかし考えてみると、人生はむしろこのような「まさか」の連続ではないだろうか。「上り坂」も「下り坂」も、その「まさか」のなかの一部と考えることもできる。
 
 そういう意味では「まさか」こそ人生の真の坂であり、考えようによってはそこにこそ生きることの味わいがあるのかもしれない。・・・と思う。
 だからわしは「まさか」を「真坂」と書きたい、と個人的には思っている。
 
 ・・・なんて、しゃっちょこばって言ったけど、平べったく言えば要するに、
 「人生は思うようにならない」
 「ものごとは思うようにいった試しがない」
 というだけの話ね。
 

        お知らせ
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。

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