コロリたい

少子高齢化社会

 いつだったか朝日新聞の川柳欄に、
「働けよ払えよそしてコロリ逝け」
 という句が載った。

 すぐに読者投稿欄に反応があった。男性熟年読者から共感の声である。
 老人比率の増加で、高齢者福祉の予算をじりじりと削る政策を、国がおし進めている。その現状をふまえてこんなふうに彼は怒る。
 自分たちが若いころは、 “猛烈社員” とか “24時間働けますか” などと煽って働かせるだけ働かせ、取れるだけ税金も取っておいて、年をとると、「金を食いすぎる、邪魔だ、さっさとあの世へ行け、それもできるだけ金(医療・介護費)を使わずにな」と言わんばかりだ、国は・・・と。
 そんな日本の高齢者の状況を、わずか17文字でみごとに表現していると投稿者はいう。
 
 まあ大方の高齢者の思いはこれに近いだろう。
 しかしわしは少々違う考えをもつ。
 
 年をとると、多くは日々の生活に喜びも楽しみも見出せなくなる。むしろ生きていることの辛さのほうが大きい。
 そういう高齢者は、当人が希望すれば、さっさとあの世へ引っ越すほうがいいのではないか、とわしは思っている。
 その方が、当人にも、家族にも、国にも良い。つまり三方すべて良し、だ。
 
 学生時代の友人に、口ぐせのようにこんなことを言うのがいる。
「朝、目が覚めて起きるとき、あ~あ、また1日が始まるのかと思う。きょうは何をして過ごせばいいのか、と考えると気が重くなる」と。
 
 この友人は心身共に健康で、どこといって悪いところはない。
 にもかかわらず、こうした思いで日々を送っている。
 もしこれで体を壊し、自由に動けなくなったり、あっちやこっちが痛んだりすれば、さらに生きづらさを増すだろう。
 
 とりわけ、生きることの基本中の基本「食べたり出したり」することが、自分ひとりではままならず、他人の手を借りねばならなくなった人の気持ちを考えると、わしなど絶望的な気持ちになる。ああ、この世の地獄だなァ~、と。
 
 いつも思うのだが、こういう老年期を送るのは、地球上に140万種生息していると言われる動物のなかで、人間だけだ。人間ただ1種だけ。
 
 人間以外のすべての動物は、老いて力が衰えれば他の動物の餌食となるか、あるいはみずから餌を摂れなくなって死ぬ。もしくは病にかかり、自身のなかに打ち勝つ力がなければ死ぬ。それが寿命だ。
 こういうのが自然本来の姿ではないか。
 
 こうした自然本来の生きものの命を、人間は・・・人間のみが自然の摂理に反してゆがめる。大量破壊兵器によって無理やり縮めたり、医療技術を使って引き延ばしたりする。
 
 そうした不自然さが人間のさまざまな面でゆがみを生じ、生きづらさを作り出している。
 ・・・とわしは思う。
 
 すべての生きものは、生きるためには食べることが必要であり、そのために働く。それが生きものの掟だ。
 税金を払うのも、社会生活を行う人間が、生きる上で必要な掟の一つである。だから文句は言わない。
 
 ただわしは、冒頭の川柳、
「働けよ払えよそしてコロリ逝け」
 を、次のように言い換えたい。
 
「働いた払った次はコロリたい」
 

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当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。

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