日常生活でいちばん重要なもの

日常生活

 人間には、日常生活を送るうえで特に重要なものがある。
 何が重要かは人それぞれによって違うが、年齢によっても違う。
 
 たとえば20歳前後の頃のわしにとっていちばん重要なものは、セックスだった。
 ま、重要と言うより、どうしてもそれから離れられないもの、手離せないもの・・・というべきかもしれないが、常に頭の中のどこかにあって、毎日かならず一度はオナニーせずにはいられなかった。ひっしに我慢してしないでいると、かえって頭の中が欲望でふくれ上がって、身動きできなくなった。ときには一日に3度も4度もすることさえあって、思い出すだけでマッタク驚き入るというか恐れ入るが、意思や努力ではどうにもならなかった。
 
 青年後期になると、わしにとって一番重要なものは音楽と録音機だった。
 もともと機械好きだったわしは、そのころ世に出たばかりのテープレコーダーにはまり、生産され始めて間もない初期の初期、まだ裸の赤ん坊のようだったオープンリールの粗削りなソニー製テープレコーダーをそばに置いて、暇さえあればいじっていた。

 ラジオもわしにとっては機械の一種だったから、小学生高学年のころの鉱石ラジオを手始めに手作りしていたので、それらラジオを通して音楽も好きになった。
 で、当然の結果として、年齢も上がり金も多少入るようになると、進歩して高級になったレコーダーを買いこんで、ラジオで放送される音楽をさかんに録音するようなった。ほとんど生活の一部のようにして・・・。
 その頃本格放送が始まったNHK・FMで、朝6時から毎日放送していたバロック音楽の時間からラジオを入れっぱなしにしていて、ちょっと気になる楽曲が流れるとすぐレコーダーを回した。

 その後、カセットテープレコーダーが登場して普及し、わしが50歳前後になると音質も機能もどんどんよくなった。
 そこでオープンリールに録ってあった音楽をカセットテープにダビング(複写)して、コンパクトカセットプレイヤーを戸外に持ち出して楽しむようになった。

 その頃は年のせいもあるのだろうが散歩も大好きになっていて、土曜・日曜に天気さえ良ければ欠かさず朝の10時頃から夕方暗くなるまで、東京郊外の自然の中や、ときには下町の古い街並みの中をヒマなゴキブリのように歩き回った。
 その散歩にコンパクトカセットプレイヤーを携帯して、風景と音楽を一緒に楽しむようになった。ときたま、その両者が神の手を借りたかのよに素晴らしいマッチングを見せるときがあって、その偶然に思わず感動の涙を流すこともあった。散歩にカセットプレイヤーは欠かせなくなった。
 
 さて、年齢が大きく進んで終着駅が見えてきた現在である。
 わしは昭和12年生まれだから昭和100年の今年は88歳だ。
 90歳近い老いぼれ人間の日常生活に欠かせないいちばん重要なものとは何か。

 ・・・といえば、それは “目印” である。
 何かをするための目印。より詳しくいえば、何かをするのを忘れないようにするための目印。

 たとえば朝のゴミ出しを忘れないように、前の晩から捨てるべきゴミ袋を用意して、朝起きたら必ず目に入るところに置いておく。
 朝夕の食後に服まなければならない薬の袋を、食卓の箸置きの隣に置いておく。
 月に1回認知症家族の懇談会があって、なにかと参考になるので必ず出席するようにしているが、会費が必要である。近ごろ買い物はキャッシュレスで財布を持ち歩かないので、現金を持って行くのを忘れる。それを避けるために、懇談会が近づくと、出掛けるとき目につく玄関の下駄箱の上に、財布を置いておく。
 定期的に行く病院の外来診療の際、爪が伸びて黒い垢がたまっているとマズイので、カレンダーの「病院」の書き込みのそばに「爪」も書き添えておく。
 洗濯物を干したら、夕刻に取り込むのを忘れないように、空の洗濯カゴを目につくところに置いておく。
 
 ・・・とまあこのように、日常生活を送るうえで、方々で “目印” が必要である。
 20歳頃のオナニーといっしょで、これなくしては生活の様々なところでに支障が生じる。
 
 ・・・というわけで、今のわしの日常生活でいちばん重要なモノは目印である。
 実にサエないモノだが、これが老人の現実である。
 

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