夫に言われて妻がイラッとする言葉(下)
前回まで2回にわたって、「妻がムカつく夫の言葉」について、(男性力希薄になったとはいえ)男であるわしがどう感じたかをちょこっと書いた。今回もその続き。(前回まではこちら→ 上/中)
たとえば、前々回(→上)の「妻がムカつく夫の言葉 ⑧」の場合。
「今晩なにが食べたい?」あるいは「今晩なにか食べたいものある?」と妻に訊かれて「なんでもいいよ」と答える夫について。
妻の立場からいえば、献立てが思い浮ばず、なにかヒントになるものが欲しいのに、少しも協力的でない夫に腹を立てる気持ちは、分からないではない。
自分も食べるくせに、どこか他人ごとのような顔をしている。もっと言えば、食事づくりに毎回苦労する妻の姿が、まるで見えてない。あるいは見ていない。「あんたが毎日食べている料理は、ドラえもんがポケットから出してるんじゃないよ」と言いたい。
ただ、「なんでもいいよ」と答える場合、夫自身にも食べたい料理が思い浮かばないケースもある。
また、具体的に食べたい料理名をあげると、手のこんだ調理になって妻に負担をかけることにならないか・・・という心くばりもどこかに入っている場合も、ないわけじゃない。
もっとも料理にも、料理を作る妻にも、まったく関心のない夫も一定数はいるだろうけど・・・。
⑧と同じ問いに、「簡単なものでいいよ」とか「楽にできるものでいいよ」と答える⑨については、夫はほぼみんな、妻に手間がかからないように・・・という気持ちがどこかにあるとわしは思う。疲れているらしい妻へのソボクな配慮が潜められている・・・と。
にもかかわらず、「どんな料理だって、簡単にできたり楽にできるものなんてないわよ!」と妻が反発するのは、ふだんの夫婦間コミュニケーションが不足しているからではないか。
その結果、調理をする妻への評価や感謝の気持ちが夫に感じられない。妻が調理をするのは当たり前だと思っているとしか見えない。
そのへんの不平・不満が、妻にこうした言葉を口にさせるのだろうと思う。
とりわけ「簡単なものでいいよ/ラクに出来るものでいいよ」の「で」が問題だ。カチンとくるのは分かる。日本語の難しいところだ。
もう一つ、とりわけわしがひとこと言いたいのは、⑦についてだ。
「言ってくれればやるのに」という夫の言葉に対して、「いちいち言わなくても察してよ」という妻の不平について。
もちろん妻の様子を見れば、言われなくても助けを必要としていると分かる場面は、じっさいに少なからずあるだろう。
しかし、すべての局面において、言われなくても分かるわけではない。
たとえば妻が会社で、日ごろ尊敬していた上司に不用意な言葉を口にされて、ひそかに傷つき、食事をつくる元気も意欲も湧かないような場合は、言われなければ夫には分からない。せいぜい、今日はちょっと元気がないな、と思うていどだろう。
前者の、だれが見ても妻の窮状が分かるのに知らん顔している夫には、妻の言い分は通る。
しかし後者のようなケースでは、ちゃんと言葉にして伝えてくれなければ、たとえ夫婦でも分からない。
それを、言わなくても分かれ、察しろ、というのは、はっきりいえば甘えだ。
そもそも日本では、「以心伝心」ということが肯定的なニュアンスで言われる。言葉にしなくてもお互いに心が通じ合っているのが、いい夫婦だ。
むろんそういう場合はあるし、それを否定するわけじゃないが、どんなに理想的な夫婦でも、生活上のすべての場面で「以心伝心」ができるわけじゃない。
そのことを双方が知っておくべきだと思う。
外国での生活経験がある日本人の多くが口にするのは、日本以外の国では明確に自分を主張しないと無視される、もっと言えばその場にい存在しない人間として扱われる・・・ということだ。
おそらく、それが地球上の人間関係の基本・・・つまりふつうの姿なのだろう。日本が特別なのである。
それを知っておくことはマイナスではないと思う。
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。