TOKYO 2020
東京オリンピックが始まってほぼ1週間が過ぎた。
世の中はオリンピック一色に染まりつつある。・・・ように見える。
始まる前は、日本人の半数以上が開催に反対していた。
だが始まってみると、空気がすこしずつ変わりだしたように感じる。わしだけだろうか。
やっぱりスポーツはいいねぇ。ウソがないもの。
勝ち負けがはっきりしていて、しかも結果がすぐ出る。
こういう時節だからこそ、逆にやってよかったんじゃないの、オリンピック。
いつ終わるともしれないコロナ相手のドロ試合ばっかりじゃ、気がめいる一方だもの。
・・・という感じで、五輪開催への賛否の比率が逆転しているような空気を感じる。
というわけで、夏のさかりに日本の真ん中に入道雲のように立ち上がった五輪。
実際に競技が始まればトーゼン目が行く。興味・関心も刺激される。
各競技とも国を単位にした競争で、どうしても自国の選手を応援したい気持ちが出てくる。
熾烈な闘いに競り勝って、金とか銀とかのメダルを自国の選手が勝ち取ると、まるで自分が取ったかのような気分になる。
テレビは大々的に報道し、大新聞でさえ一面トップに大きな写真を掲げる。
スマホのニュースアプリも、見出しの半分が五輪関連だ。
そういうものを見てわしら一般国民もコーフンする。
自分自身はな~にもしないで、ただテレビやスマホを見ているだけなのにね。
実際わしらがしているのは、テレビリモコンやスマホ画面を指でなでてるだけだ。
考えてみると人間ておかしな生きものだ。
選手の身内や友人は別だけど、一般人は自国の代表選手といえど、現実の人生では何の関係もない。直接会ったこともなければ、見たことも話したこともない。
その意味では外国の選手とまったく同じだ。
ただ、役所の戸籍簿に載る国籍が違うというだけで、自国の選手が勝つとまるで自分が勝ったように小躍りし、負ければくやしがる。機嫌が悪くなるヤツまでいる。
どっちが勝とうが負けようが、あすからの自分の生活になんの影響もない。
自国の選手が勝てば、税金が安くなるとか、政治家や官僚が改心してマットーな仕事をするようになる・・・というんなら、ま、勝って跳び上がり、負けて首うなだれるのもわかるけどね。
が、そんなこたぁない。
なのに世界中の人間が、たかがスポーツの勝ち負けにこれほど熱狂してコーフンする理由はいったい何なんだろう、と思ってしまう。ヒマ持て余しているからねぇ、老人は・・・。
個人心理学や社会心理学では、おそらくそれらしい説明をしているんだろう。けど要するに、人間はそういう後先一貫しないいい加減な生きものだ・・・というに尽きるんじゃないの。
わしはこの頃はもうモノゴトをちゃんと考えるのはメンドー臭くなったので、ひと言で片付けることにする。
そもそも人間は矛盾した存在である。
コトの途中で言うことが変わるなんて、朝は昇った太陽が夕べには沈むのと同じくらい、当然のことである。
・・・てなぐあいにね。へへへ・・・・。
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。