よく聞く話

墓に布団は着せられぬ

 よく聞く話である。
 だからそれがわしの近辺に起きたとしても、べつにおかしくはないんだけどね。
 
 先日、カミさんがひどくしょんぼりした様子で、和室の隅っこに座りこんで首うな垂れていた。最近ではあまり見かけない光景だ。

「どうしたの?」
 と声をかけると顔を上げてわしを見た。とたんに目に涙がにじみ出て顔が歪んだ。同時に幼児のようにヒーッというような声を出して泣きはじめた。それまで懸命に何かをガマンしていたらしい。
 
 言われたくないだろうがカミさんは80に近い年齢である。保育園児時代とちがって、女性もこの年になるとあまり泣かない。たいていのことは体験済みで、少々のことでは心が動かない。わしもカミさんの涙など、ここ何年も見たことがない。テレビや新聞で涙腺をしげきされたときは別だけど・・・。
 
 でわしは、虚をつかれて少々驚いたわけだ。胸もさわいだ。いったい何ゴトが起きたのかと。

 とりあえず傍に行って、どうしたのかと訊いてみた。するとおよそ次のようなことを、むせび泣きながらぼそぼそと言った。

 その前に話をちょっと横にずらすが、カミさんの日記帳は家計簿の腰にぶら下がっている。
 彼女はもともと、計画的に考えて行動するタイプではない。
 そのことと関係すると思うが、日常なにか気になるとくべつの出来事があると、大学ノートで代用している家計簿の数字のあいだに、チョコチョコと記しておくというのが彼女の日記である。
 
 さて先日、たまたま何年かまえに買ったある品物の値段を知る必要があって、過去の家計簿を引っぱり出してページを繰っていたらしい。

 すると日々の生活費のあいだに挟み込んである文章(日記部分)に目が行って、なにとはなく読んでみた。
 
 おどろいたことに、そこに書かれていることはほとんどすべて完全に忘れて去っていた。そんなことあった?・・・の連続で、次々と読みすすめた。ほとんど他人の日記をのぞき見する感じで・・・。

 すると、とりわけ胸にひびいてくるものがあった。
 母親が関わる部分である。

 母親は2年余り前にほぼ100歳で亡くなっている。
 
 だが当時、カミさんにそれほど落ち込んだ様子はなかった。
 まあ天寿を全うしたといっていい死だったからでもある。

 ところがそれから2年ほど経って、いきなり母親がらみの号泣である。

 日記に記していることを読むと、母親に関することが意外にもいろいろと書かれていたらしい。

 ほとんどすべて忘れ去っていることだが、こうしてまとめて読んでみると、母親のしてくれたことや言ってくれたことが、子を思う親心を潜めていたことがあちこちに感じ取れた。言い争いになったケースも含めて・・・。
 
 一方、そのような母親に対して自分がとった対応は・・・と考えると、悲しくなるほど情の薄いものだったように感じられた。

 で、なんとひどい娘だったのだろうと胸が痛み、泣きそうになったのを懸命にこらえていたところへ声をかけられて、抑えが外れて大落涙となったらしい。
 
 まあこういう話は世間でよく聞く。人間に付きものの日常風景の一つといってよかろう。
 巷間によく知られたこんな成句がある。
「墓にふとんは着せられず」
 これを身も蓋もなくストレートにいえば、
「孝行をしたい時には親はなし」となる。
 
 親が先に逝った子供のほとんどは、喪ってのちに、持っていき場のない布団をかかえてうろうろする。
 ま、どこでも見られるありふれた光景だろう。
 
 だから最初で言ったでしょ。
 わしの近くで起きてもおかしくない話だって。
 

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