ささやかに傷つく
前回で書いたように、腰が抜けて思わずしゃがみ込み、立ち上がれなくなるほど傷つくことはそう度々はない。(前回はこちら)
だが、見た目にはしゃんと立っているけれど、内心では神経がフラフラしているようなケースは、人生にはちょくちょくある。
その一つに、だいぶ前の話だがこんなことがあった。
父親の30回忌で実家に帰省したときのことである。
仏事後、縁(ゆかり)のあった40人ほどの人たちが、田舎の料亭で会食した。いわゆる “精進落とし”ってやつね。
その中に遠縁にあたる家の主婦Sさんがいた。
家がほど良い距離にあり、彼女の息子がわしと同級生だったこともあって、よくお互いの家に行き来した。
Sさんはいつもわが子同様にわしに接してくれた。・・・というか、ほかの子より何か特別に自分に目をかけてくれているような気がした。彼女は田舎の女性にしては美人だった。その頃は30代の後半あたりで、女ざかりだった。
たびたび遊びに行ったのは、同級生と遊ぶためというより、ほんとは母親のSさんの顔を見たかったからだ。声も聞きたかった。
そのSさんが、父親の30回忌の会食者の中にいた。
そのことに途中から気がついた。それまで気づかなかったのは、席が離れていたからだ。彼女は年を重ねてかなり老けてはいたけれど、目がとまるとすぐにSさんだと分かった。
その会食は、徳利を持って自由に歩きまわれる席ではなかった。
そこでわしは、彼女の顔がこちらの方へ動いて視野に入りそうになったときに、手を挙げて気づいてもらおうとした。
ところがなかなか気づいてくれない。
で、注意を引くよう上げた手を左右に振って、ようやくこちらに目を留めてもらうことに成功した。
しかしその顔はいかにも不審そうだった。もっといえば不快そうだった。
覚えのないわけの分からない中年男が、へんに親しそうに手を振って合図を送ってくる。
若いころは美人だった彼女には、そんな風に近づいてきた軽薄な男たちはたくさんいただろう。そんな男のひとりくらいに思っている顔だった。
わしは軽く水を浴びせられたような気がして、思わず振っていた手を下ろした。
Sさんはまったくわしに気づいていない。・・・というか、わしの存在そのものが彼女の頭から完全に消えている。
でなければ、たとえ小学生の坊主が中年男になっていても、まるで見も知らない赤の他人のような反応はしないはずだ。
実際、同じくらい長く会うことのなかった人はほかにもいたが、最初は多少とまどいながらも、数秒後には名前まで思い出してくれた。
わしは目を落とし、手酌でお猪口を口に運びながら思った。
子供のころ、特別に目をかけて可愛がってくれていると思っていたのは、実はこっちの勝手な思い込みにすぎなかったのかもしれない・・・と。
(前回に書いたような)上司に見捨てられる時ほどのことではもちろんないけれど、冷ややかな風の吹く人生の戸外に押し出されたような気持ちになったのだった。
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。