デイサービスって、何をサービスするとこ?(上)
デイサービスって、何をサービスするところか知ってる?
決まってるじゃないの。「デイ」を「サービス」するところだ・・・なんて言わないヨ。それじゃ「アホ」って「ア」を「ホ」することだ、っていうのとおんなじだ。アホくさ。
何度も書いているけど、カミさんは週2回デイサービスに通っている。
彼女は「要介護1(軽い方から3番目)」の公式認定を受けていて、介護制度から出る給付金でデイサービスの費用がちょうど賄える。正直いうと、デイへ通う理由にはこれが大きい。ケチ臭いコト言うようだけどサ。
もっともカミさんは、行く前はあんまり乗り気でなかった。
だが通い始めてみると、それほど居心地は悪くなかったようだ。この頃は、前の晩はウレシクて眠れない、というほどではないけど、嫌がらずに休まず通っている。
なによりいいのは、(前にもちょっと触れたことがあるが)高齢者専用の筋肉トレーニングマシンがあることだ。
80歳近くにもなれば、筋肉は放っておくと日に日に音を立てて・・・もとい音もなく崩れていく。その肉崩れをなんとか防ぐのに、このマシンが手を貸してくれる。天災大国ニッポンの土崩れを防ぐ棒杭みたいなもんだ。
でも、もし町のジムなどに通ってやったら、こっちの筋肉量に釣り合わない高い料金をふんだくられて、ひどくコスパが悪い。
逆に、金が呻るほどあって、自宅に専用マシンを入れてやったとしても、三日坊主を三回くり返したあげく、後に残るのはホコリのたまったマシンと、ホコリが地に落ちてたまった自己嫌悪のカタマリだけだろう。
その点、デイサービスでやるとその心配はない。
申し出て、いったんマシン使用のスケジュールが組まれると、段取りはデイ側がやってくれる。職員がついて毎回リチギに実施されるから、三日坊主には逃げ込めない。
うちのカミさんのような坊主が大好き者には、これは目に見えない大きなメリットだ。
筋トレ以外にも、デイサービスにはいいいところがあるとカミさんはいう。
なかでも大きいのは人と自由に話ができることだ。
言うまでもないが、年を取ると認知症が増える。2025年には65歳以上の5人に1人がなると言われている。
発症原因の一つは日々の会話の量が減ることで、これは定説だそうだ。会話しないと、脳へ行く刺激が想像以上に少なくなるのだという。
たしかに年齢が増えるにつれ、日常の会話は減る。
だいいちわしら年寄り世界では、いつの間にか周辺から話し相手がいなくなる。気がついてみたらあっちでひとり、こっちでひとりって感じで・・・。
いつかはあの世へ行くのはサダメだから、それは仕方ないとしても、生きてる者は相手がいなけりゃ話はできない。話にならないわけ。
もっとも、相手がいても話ができないケースもある。
古夫婦ケース。何十年も一つ家の中で顔つき合わせて生きていたら、毎日そうそう話すことなんかない。ウン、ソウ、シラナイ、ションベン、ネル・・・ぐらいしか口にしなくなる。
これじゃ「ここにいいカモがいるワイ」と認知症がコソコソ寄ってくる。わしは何となくハイエナを連想する。余談だけど、わしは野生動物番組が大好きで、NHK・BSの「ワイルドライフ」は欠かしたこがない。
話を本筋にもどすが、デイサービスにはハイエナはいない。つまり話し相手はいくらでもいる。
多少、元気とか活力とかは下降している連中だけど、砲丸投げや100メートル競走するわけじゃないし、口を動かすエネルギーぐらいは残っている。当人にその気があれば、会話をする機会はふんだんにある。会話を通して、他者とコミュニケーションをする機会も増える。
もっともこれは女性に限る話かもしれない。
カミさんの言によると、男性はデイに来てもあんまりしゃべらないそうだ。
せっかく、その気になればいくらでも話ができる場所にいるのに、自分から話そうとしない男が多いらしい。
一日じゅう椅子に座ったまま、面白くなさそうな顔をして、宙の一点をじっと見ている。
宙の一点に何があるのか知らんが、そんなもんただ睨んでいるだけじゃ、脳に大した刺激は行かないだろう。ハイエナが気安く近づいてくる道を、自分で作ってやっているよなもんじゃない? ・・・って、元々あんまり社交的じゃないわしには、あんまり大きな口は利けないけどサ。
ところで、その自由に話ができるデイサービスでは、いったい皆はどんな話をしているのか、紹介しようと思って今回の記事を書き始めたんだけど、もうだいぶ長くなった。皆さんも、先を読むのがメンド臭くなってるだろうから、続きは次回にまわすことにシマす。
当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。