吼え声 その後

吼え声

 前回、封建的・家父長的男性の典型で、レキハク(歴史博物館)に飾っておいた方がいいんじゃないのって男を夫に持った女性の話を書いたら、けなげに一所懸命に生きている女性がもうひとり、すぐ近くにいることを思い出した。

 今回はその女性のことを書いてみようと思うが、そこへ行く前に、面倒で申し訳ないけれど、以前当ブログに書いたある記事にざっと目を通してもらえると有難い。今回する話の土台になる記事なので・・・。(その記事『吼え声 唸り声』はこちらから)
 
 でも、いちおう念のため、このときの中身をひとことに要約してみる。
 週一のゴルフが生きがいだった70歳過ぎの元気な男が、事故でとつぜんほぼ全身不随になった。
 理解はできるが話すことができない運動性失語症で、言葉も失った。
 以後夜となく昼となく、獣のような吼え声を発するようになった。・・・というちょっとツライ内容である。

 話がやや横にそれるが、ガンの快復率が今ほど高くなく、死病のように言われていた頃、ガンを宣告された患者がたどる経過には一定の段階があると言われていた。

 元々はアメリカの精神科医キューブラー・ロスが言いだしもので、「死の受容のプロセス」として有名なのでご存じのひとも多いと思うが、念のため彼女の説の概要ををざっとたどってみる。

「快復が期待できなくなった」ガン患者の多くは、死を受け入れるまでに5つの段階を踏むという。

 第1段階は「否認」。
 自らの現状を容認できず、何かのまちがい・・・医師の診断や医療機関の検査が間違っていると思う。

 第2段階は「怒り」。
 現状を否定するのが無理と分かると、なぜ他の誰でもなく自分なのか、自分は何も悪いことをしていなのに・・・といった怒りの感情を抱く。外部に対しても八つ当たり的に憤りを吐露する。

 第3段階は「取引き」。
 なんとか死なずにすむように取引きしようと試みる段階。何かにすがろうとする心理状態で、自分の行動で生死が分かれるのではないかと思い、徳を積む行為をする人もいる。

 第4段階は「抑うつ」。
 徳を積んでも病状は改善しないと分かると、喪失感が強くなり、うつの症状が出てくる。

 第5段階は「受容」。
 さらに進むと、抵抗する気持ちもなくなり、感情がなくなる。最終的には現状を受け入れ、自分の死を容認する段階に至る。
 
 ガンで死の宣告をされた患者の多くが、以上のような経過をたどる・・・と、多数の患者を看取ってきたキューブラー・ロスは言うのだが、たしかに説得力がある。

 話を本筋にもどすが、先ほど要約して紹介した記事『吼え声 唸り声』に登場する隣人(とつぜんの事故で全身不随になり、言葉も奪われた男性)も、その後の経過は上に述べたような段階をたどるのではないかとわしは思っていた。
 気の毒だが、人には誰にも逃れられない宿命があり、宿命は受けれれる以外に方法はないのだからと・・・。
 
 その記事をアップしてから一年近くが経つ。
 さすがに夜も昼も絶え間なく・・・ということはなくなったが、実は今でも時おり、この “獣の吼え声” は思い出したように続いている。
 
 時おりだけど、それだけにその声にはいっそう、自分の境遇に納得しない思いが蘇えるのか、怒りや恨みや哀しみの色がより深くなっているように感じられる。
 自分に与えられた運命の受容は、まだ第5段階にまで至っていないのかもしれない。

 彼の辛さは言うまでもないが、この件でより痛くわしの胸にくるのは、実は常に彼のそばにいる奥さんのことである。
 
 言葉も奪われて一日中ベッドに縛りつけられている夫が、その運命を憤ってか呪ってか全身を引き裂くようにして放つ吼え声・唸り声を、常にすぐ傍で聞いている妻の存在である。
 彼女の辛さは、ひょっとすると当人以上かもしれない・・・とわしには思える。
 その辛さを彼女は、吼え声にすることさえできないのだ。
 
 時たま家の近くで奥さんに出会うことがある。最近はマンションの管理雑務の当番になったので、戸口で会って話をすることもある。
 そういうとき彼女は、(最初に夫の出す騒音を詫びたあとは)いつも明るい顔で挨拶を交わし、話をする。
 
 彼女の心が明るいわけはない。
 吼え声を発している夫は、その瞬間は感情が高ぶっていて周辺のことまで考える余裕を失っているだろう。
 しかし彼女は、その尋常ならざる声が近隣に与える迷惑を、考えないわけにはいかないに立場にいる。
 
 だからこそ近所の人に会うとき、彼女はできるだけ明るい顔で接しようとしているのだと思う。
 暗く辛そうな顔をしていれば、夫のはた迷惑な声に上塗りをすることになるだろう・・・そう思って彼女は、一所けんめい努力しているのが分かる。
 
 その健げさにわしは感銘を覚える。
 
 世間から特別に賞賛されるような大きな仕事をしたわけではなくても、こうして世の片隅でひっそりと、自分にできることは精いっぱいして生きている人を見ると、エライなぁ、と感動する。
 
 まあそれは当方自身が、落陽の中に佇んで景色を眺めているという、エネルギーの落ちた身であるからではあるだろうけれど・・・。

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