昆虫のように擬態する人間もいる(上)
へえー、ホントに、人は見かけに寄らないなァ~。
・・・とこの頃、ややびっくりしたり、感嘆したり・・・。
特別の人のことではない。3年半ほど前に亡くなったカミさんの母親のことである。
この義母のことは、このブログにも何度も登場してもらっているが、死後、年月を経れば経るほど、生前には思いもしなかった面が見えてきたのである。
彼女は特べつに変わった生まれではない。大正時代の中期に、ごく普通の中流家庭の長女として生まれ、普通に育ち、彼女の生きた時代では大半がそうであったように見合い結婚をして、専業主婦として生きて寿命を全うした。
普通と少しだけ違った所があるとすれば、彼女の夫(カミさんの父親に当たる人ネ)が、普通よりやや際立った亭主関白だったとことである。
家父長制(家長が絶対的な権力をもって家族を支配・統率する家族形態=goo辞書)という、戦前の封建的な家族制度の下で生まれ育った男の典型で、彼はとりわけその傾向が強く、彼の妻(つまりわしの義母)に自由はほとんどなかった。
財布は完全に夫が握っていて、月ごとに一定の金額が渡され、生活費は全てその中で賄うことを求められた。想定外の出来事が生じたときだけ、必要に応じて実費が追加された。
もちろん、何ごとでも夫の言うことに逆らうことは許されなかった。
彼女の生活は家事育児を含めて、すべてにおいて夫に言われたことを、水の流れで回る水車のように、ただ夫に従って行なうだけの日々だった。ほとんど “家事奴隷” のような存在と言っていい。
いわゆる生活力がなくて、それを受け入れる以外に生きる道がなかったからであろうが、それで抵抗はもちろん不平不満を言うでもなく、陰で愚痴・泣き言を周辺にこぼすでもなく、素直に、ごく普通に平穏に日々を生きていた。
夫が先に逝ってからも、そういう夫に対する恨み言を口にすることもなかった。
そんな彼女の姿を、初老期以降はわしもこの目で直接見たが、ある意味で感心していたくらいだ。
ところがである。
亡くなって数年が経ってみると、表に出なかった彼女の隠されていた一面が、少しずつ顕われてきたのである。
外側から見えていたように、夫に従ってただ従順に生きてきたわけでもなさそうな面が見えてきたのだ。
彼女は晩年独り住まいをしていて、ある日、前ぶれもなく突然倒れて、そのまま意識が戻らないままあの世へ逝った。
そのあとに残された家を、彼女が生活していた状態のままそっくり引き継ぐ形で、わしらがいま住んでいる。
で、引っ越し後のゴタゴタが落ち着いて、彼女の遺品を少しずつ整理していると、予想もしなかったモノが出てきたのである。
まず驚いたのは義母名義の株券が多数あったことだ。
夫が逝った後に購入したものかと思ったが、いっしょに保管されていた書面によると、夫の死亡よりはるか以前に手に入れている。今となれば紙切れ同然になっているほどの昔である。
夫が会社に行っている間は、見ている者は誰もいない環境だから、まあ何をしようと自由だったろうけれど、ああいう生活状況下で、単なる主婦だった彼女が、これだけのものを買う金額をどこでどのように工面したのか不思議である。
さらにである。
衣装箪笥の奥の方から、高級な衣服や宝飾類がこれまたたくさん出てきたのだ。
夫が生きていた頃はもちろん、亡くなってからも、そんな衣装や宝飾類を身につけていた義母を見たことは一度もない。いつも控えめな地味な装いだった。ごくたまに外出する機会がある時でさえ、つねに平凡な目立たない出で立ちだった。夫が何につけ家族が派手にすることを嫌ったからだ。
それを思えば、これらタンスの奥から出てきた、有名ブランド品もまじえた高級衣類や宝飾品を、彼女はいったい何のために買ったのであろう。
単なる “腹いせ” のため?
・・・だとするとあまりにも虚しいし、哀しい。
いや虚しくて哀しくても、そういうことでもしないでおれなかったほど、彼女の内にあって押し隠されていた何モノかは強かったのか。
いずれにしても、いくつになってもわしには人間は謎である。
当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。