昆虫のように擬態する人間もいる(下)

シロアリ

 前回、超・関白の亭主に、一生奴隷のように従順に従っていた妻が、実は外からは見えない所で密かに反逆をしていた(・・・と思われる)例を義母に見た・・・という話を書いた。(前回はこちら

 その同じ義母が、実はこんなこともしていた・・・という別の一面のことを今回は書いてみる。

 前回でも触れた経緯で義母の遺品を整理していると、こういうものが出てきた。
 それは大きな段ボール箱いっぱいに、小さく畳んだビニール袋が何百何千・・・ひょっとすると何万という数で詰めこまれて出てきたのである。

 新聞を定期購読していると、配達時に雨が降ったり降ることが予想されると、濡れないよう薄いビニール袋に入れて届けられる。
 そのビニール袋は、ふつうは用が済めばゴミ箱へ捨てられるのだろうが、義母はひとつも捨てないで取っておいたらしい。

 物が豊富でなかった戦前育ちの日本人には、別にそう不思議でもないのだけれど、ちょっと驚いたのは、そのビニール袋の扱い方・・・というか畳み方である。
 
 今では多くの人がやっていると思うが、幅×高さ=30㎝×40㎝の大きな袋でも、あるやり方で畳めばとても小さくなる。

 広げた袋を数回タテ折りして細長い長方形にし、それを底の方から順繰りに三角に折り進めていって、最後は小さな三角形にまとめる。大きなビニール袋も3㎝~4㎝くらいの小さな三角形なり、嵩張らない。
 
 雑にやれば小さくはなっても別に美しくは仕上がらない。ところが義母の残していたものは、定規で測ったようにキチンと三角に畳まれていて、はみ出たところもなく、全てじつに美しい三角形に仕上げてある。
 
 このように畳むのはそれ相応の手間が要る。まず、袋をアイロンでも当てたようにきれいに皴を伸ばして広げ、それをまるで先祖伝来の貴重な資料でも扱うように、一つひとつ丁寧にきれいに畳んでいく必要がある。
 
 こんなことは時間が腐るほどなければできない。
 ・・・と同時に、精神もある種の特別な状態になければ、こんな手間のかかるアホらしいことはやっていられない。
 
 そうして作られたものが、大きなダンボール箱いっぱいに、何万匹の白アリがひしめき群れているように溜めこまれていたのである。
 
 この “遺品” ひとつ見るだけでも、自宅に一人になった昼の間、義母がどのように生きていたか想像できて、なにか訳もなく胸が切なく痛むのである。

 

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当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。

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昆虫のように擬態する人間もいる(下)” に対して 2 件のコメントがあります

  1. 色呆け爺 より:

    初めてお便りさせて頂きます。
    半年ほど前にボケモン島にたどり着き、以降楽しく拝読させて頂いています。
    読ませて頂くだけで、ご連絡もしないのはあまりにも失礼かと、ご挨拶を兼ねお便りさせて頂きました。
    私は喜寿を過ぎ傘寿を目前にした呆け爺ですが、半ボケじじい様は多分傘寿を少し越した位のお歳かと推察させて頂いています。半ボケじじい様の毎回の軽妙洒脱な文章に感服しております。
    私も拙い文章ですが、「色呆け爺」(http://www.irobokezizii.sakura.ne.jp/)とのプログ(ホームページ)を
    作っていて、半ボケじじい様の軽妙洒脱な文章を参考にしようと思ったのですが、簡単には他人様の真似など出来そうもありません。又綺麗なレイアウトで読みやすい構成にも関心しています。
    私はパソコンの知識は未熟で、10余年前教えて頂いたホームページの作り方をそのまま踏襲していて、読みにくいページですが、お暇な折にでも見て頂ければ幸いです。
    半ボケじじい様の益々のご活躍を祈念しています。

    1. Hanboke-jiji より:

      色呆け爺さま

      親切・律儀なコメントをお寄せ下さりありがとうございます。
      早速、ブログ『色呆け爺』(http://www.irobokezizii.sakura.ne.jp/)
      を拝見しました。
      ご当人は謙遜されていますが、なかなかどうして面白かったです。
      なぜなら、上手い文章を書こうとせず、ご自分を偽らずに、格好つけずに、
      嘘なくあるがままを素直に書かれているところが、なにより魅力的です。
      私は現在86歳で、傘寿ならず米寿にもう少し・・・という年になっていて、
      さすがに最近色事への関心が薄れてきているのを感じ、寂しく思って
      おります。しかしこの年にしてなお、性欲が完全になくなっている
      わけではありません。主として物理的硬さの問題で実践はちょっと・・・
      いや完全にムリですが、目で楽しむことはできます。
      考えてみれば実用的には全く不可能なのに、この欲望が体から完全になくならないのは
      どういう理由なのか、神サマのお考えを知りたいものだと常々思っております。
      ともあれ、ブログのタイトルに『色呆け爺』とお付けになったのは、
      「自嘲」の匂いを漂わせながらも、人間の本質をついているものと感服いたします。

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