現代の姥捨山
10年ほど親しく付きあっていた夫婦がいた(仮にBさん夫婦と呼ぶことにする)。
年齢はわしらより少し下(5歳ていど)だったが、家族ぐるみでお互いの家にもよく行き来した。いっしょにくるまに乗って食事に出ることもあった。
そのBさんの奥さんが、60代後半あたりから、あれ、ちょっとおかしいぞ、というところが出てきた。専門の病院でみてもらって、初期の認知症と診断された。
ああ、ついにすぐ身近なところに現れたか・・・と、改めて現代とリアルに向き合うような気がした。
しかし向かい合って話しているぶんには、ほとんど正常と変わらなかった。
驚いたのは、子供たちの反応の速さであった。
Bさん夫婦には子供がふたりいる。二人とも男だ。長男はマニラに住んで大々的に事業をしており(妻もフィリピン人)、次男は親からくるまで1時間くらいのところに家庭を持っていた。
子供たちふたりで相談はしたのだろうが、具体的に動いたのは日本にいる次男である。母親に認知症の気配が出た段階ですぐに老人ホームを探しはじめた。
そしてあれよあれよというまにコトは進んで、Bさん夫婦は老人ホームに入れられてしまった。
70歳前後だった亭主のほうは、まだ年相応に健康だった。だがホームに入って半年もすると、びっくりするほど老けてしまった。
つい2,3年前までは、これから「おじんラグビーを始めようと思うんだ」みたいなことを言っていたのに、彼らの住む老人ホームを訪ねたとき、部屋があんがい狭いのでそう言うと、「これでいいの。すぐにここよりもっと狭いところに入るんだから・・・」みたいなことを言うようになっていた。顔つきや肌からも生気が失われて、別人のようだった。
奥さんの方はともあれ、しっかり自分があるように見えた亭主まで、子供のいいなりに唯々諾々とホームに入ってしまったことが、実はわしには意外だった。
どんな家庭にも、第三者には分からない事情があるだろう。しかしそれにしても、第一次反抗期も第二次反抗期もない子供のように、ひたすら従順に子の言うことに従うB氏夫妻を、わしは理解できなかった。ほとんどボー然と眺めていた。
「老いては子に従え」という。
しかしはっきり言ってそれは子供次第だろう。
わしらには子供がいない。夫婦で選択した結果だが、老いが近づいてきたとき、正直不安がないことはなかった。自分たちには頼るべき若い柱がないことに心ぼそさを覚え、首筋に涼しさ感じながら、しだいに光を失う西空を眺めることもあった。
だがこういう事例を身近に目にすると、”しっかりとした” 子供のいることが果たして幸せなのかどうか考えてしまう。
何年か前のどこかの首相の言いぐさではないが、まさに「人生いろいろ」だ。
それでいいのだが・・・。
認知症を患った親や連れ合いを24時間、いや、たとえいくつかのサービスを使ったところで、生活を共にするのはホントに大変だと思うのです。中でも食事と排せつの世話が辛いでしょう。どちらが先かはわからないけれど、とにかく、かなりのぎりぎりまで自宅で夫婦が生活できることが一番幸せだと思うのです。
そのためにできることをしなけりゃなりません!
わたくし、夫が定年になったら夕食作りを、まずは月一からお願いしたいと思っておりますよ~♪
私がいなくても困らないようにね♪
実際に認知症者をかかえた家族は、むらさきさんの言われるとおり、ほんとに大変だと思う。
第三者がとやかく言えない問題だろう。
当記事に書いたBさん家族も、ああせざるを得ない理由があったのにちがいない。
ともあれ人間は、生きてるときも大変だけど、その生を終えるのも大変だ。
むらさきさんのように、早くから夫婦で話し合って、心の準備や具体的対策を考え
ておくのは賢明ですね。