目の前に巨人が立ちふさがったとき
すでに辺りは暗くなりかけていた。
ふと気づくと、道の中央に大きな男が行く手をふさぐように立っていた。
足が止まり、のど元へ恐怖心がせり上がった。
男は30メートルほど離れた所からじっとこちらを見下ろしている。わしが近づくのを待ちかまえているようだ。
あわてて周りを見まわしたが、もちろん誰もいない。
といっても時刻はまだ夕暮れの7時すぎだったろう。でもその辺りは、農家の人が畑から引き上げれば無人の荒野と同じだった。少なくとも当時のわしにとっては・・・。
そのときわしは、小学校へ上がったばかりの頃だったと思う。前後の状況は忘れたが、何かの事情で日が暮れかけてから、隣部落の親戚の家からひとりで家へ帰らなければならなくなったのだった。
歩きはじめたときからすでに、胸のなかは恐怖がヒラヒラしていた。でもとにかく、家に帰らなければならない。ほかに道はない。わしは覚悟を決め、とにかくそこまで歩いてきたのだった。
そのときわしは思った。ああ、自分はここで終わるのだと。この大男にさらわれてサーカスに売られるか、取って食われるかだ。・・・そういう想像が頭をめぐり、足がすくんだ。
が、それでも少しずつ前に進んだのだから、子供のやることはやっぱり子供だ。
大人の頭で考えれば、それほど恐ろしいのなら、そこが一本道で逃げ道がなかったにしても、今きた道を引き返すことだってできたはずだ。そして親戚のひとに送ってもらうか、家族の誰かに迎えてにきてもらう方法だってあっただろう。
でもそんな考えはまるで重い浮かばず、心臓を縮ませながらひたすら前へ進んだのだから、老いさらばえて後ろ歩きが出来なくなった爺ィと同じだ。
しかしそのおかげで救われた。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ・・・ってか。それほどのこともないわナ。
とにかく大男まで10メートルほどまで近づいたとき、するりと巨人が一本の木に変ったのである。大男の妖怪と見えてたのは、じつは何のへんてつもない道端の樹木だった。
ま、子供のやってることバカと紙一重だ。
・・・なんて笑ってる場合じゃない。
大人だってけっこう同じことをやっている。
たとえば某国のデブ若大将(敬愛する偉大なる将軍様ともいう)。
このお兄さんへの周辺国の大人どもの対応は、子供のころのわしを笑えない。
彼らはこの若大将を、凶器を手にした巨人だと思って戦々恐々としているではないか。ほんとは単に我がままなデブ若造にすぎないかもしれないのに・・・。
かっては世界の警察官をもって任じ、若大将が持っている何千倍もの爆竹をポケットに入れている大国の大統領までが、若造が気軽に口にする言葉にいちいち反応して、窓を開けたり閉めたりして、自慢のモノを出したり引っ込めたりしている。
みっともないったらありゃしない。
・・・って思わんかい、ご同輩。