おちょくられた家庭教師(2)

昔のダイニングキッチン

 前回からの続きです。(前回記事はこちらから)

 (前回は、学生時代、下宿の大家のおかみさんに、中学生の娘の英語の家庭教師をしないか、謝礼は毎回の食事・・・と言われて、引き受けたところまでだった。)

 始めてみると、K子は相当にダメな生徒だった。
 集中力が幼稚園児なみで、十五分ともたない。
 学力は英語だけでなく、他の教科もかなり低かった。
 そもそもこちらが懸命に教えても、本人にやる気はほどんどなかった。すぐ関係のない別のおしゃべりを始める。ほんとに志望校に行きたいと思っているのか、とわしは疑った。

 それに、最初の数回こそしおらしかったものの、すぐに本性を現わした。
 ひしゃげた印象の皮ふの下に、ねじけた性格を隠していた。
 たとえば勉強の途中で、前後の脈絡なくとつぜんこんな質問をする。
「ねえ先生、長者番付って、英語でなんて言うの?」
「え? 長者番付? ・・・えーと、リ、リッチマンズ・リスト・・・いやランキング・・・かなあ」
「ほんと?」K子は疑わしそうに下から見あげて、「じゃ、所得申告額はは英語で何と言うの?」
「え? 所得申告額?」とわしがしどろもどろになっていると、
「知らないの? たいしたことないのねえ」
 と、薄い鼻翼に小じわを寄せて笑ったりした。おそらく長者番付の発表をテレビか新聞で見て、わしをからかう材料に使ったに違いなかった。

 また、あるときはこんなことも言った。 
「あのね、先生。友だちの○○ちゃんの家庭教師サンね、脚が長くて、ハンサムで、トニー・ザイラーに似ているんだって」
 ザイラーは前年の冬季オリンピックで、回転・大回転・滑降の三種目で金メダルを獲得したオーストリアの英雄が、少し前に来日して騒がれていた。
 あきらかにK子は、ハンサムにも脚の長さにも縁の薄いわしをもてあそんでいるに違いなかった。
 気のきいた切り返しひとつできず、もぞもぞしているわしを、彼女は冷ややかなうす笑いを浮かべて眺めていた。

 K子ではなく母親に関しては、こんなシーンを思い出す。謝礼がわりの食事は、白黒テレビの置いてあるダイニング・キッチンでしたが、そのときおかみさんも同じテーブルに座って、雑談することもときどきあった。

 あるときテレビのニュースが、当時の相撲協会理事長をしていた何とかという親方が、国技館内で切腹して重体だと報じていた。不明朗な茶屋制度を問題にされて、悩んでいたということだった。
 
 おかみさんはそのニュースをじっと見ていたが、ふいに独り言のようにぼそりとつぶやいた。

「わたしね、むかし、お角力さんと付き合っていたことがあるのよ」
 たしかにその辺は国技館に近く、有名な相撲部屋もあった。思わずおかみさんの顔を見ると、彼女は顔をテレビに向けたまま、
「あのろくでなしが現れなかったら、今ごろどっかの相撲部屋で、おかみさんとして若いお角力さんの面倒を看ていたかもしれない・・・」
 そう言ってからこちらへ顔を向け、かすかに笑った。
 目尻に小じわを刻んだやや自嘲的なその笑いは、初めて見る人間くさい顔だった。
「ろくでなし」というのは、むろん亭主のことに違いなかった。そういえば亭主の顔を、そこに居たあいだに1度か2度しか見たことがない。夜も家にはいないようだった。

 それでもうひとつ思い出した。やはり食事のときにテレビが、「警察官が人妻と深い関係になった場合、免職させることができる」という判決を最高裁が出した、というニュースを流していた。するとおかみさんは、
「今ごろ遅いわよ。そういう薄汚いことするヤツは、クビだろうとオチンチンだろうと、さっさと切っちゃえばいい!」
 はっとするような激しい口調だった。
 わしはどんな顔をしていいのかわからず、へどもどした。

 おかみさんの悩みは、亭主やバカ娘だけではなかったようだ。
 後で知ったが、おかみさんには息子がいるらしかった。つまりK子の兄で、中学生ごろからグレだし、高校のときに刃傷事件をひき起こして施設に入れられているということだった。
 トイレの臭いのする共同炊事場で、古くからいる同居人から聞いた。

 結局、大家の娘の家庭教師は3ヵ月ほどしか続かなかった。
 K子が、家庭教師に勉強を教わるということにも、家庭教師そのものにも、飽きたからである。
 おかみさんは言った。
「3ヵ月経ったけど、K子の英語の成績がすこしも上がらないのよね。どうしたらいいと思う?」
 わしは言った。「僕の力が足りないんだから、辞めさせてもらいます」。
 おかみさんは引き止めなかった。
 
 早い話、わしは14,5歳の小娘におちょくられたのである。
 いや、人生を教えてもらったのである。

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