おちょくられた家庭教師(上)

家庭教師

 春である。
 クイズをひとつ。
 この季節に圧倒的に多い新聞の折込チラシは何か。

 学習塾のチラシ。
 折込チラシの王者スーパーも劣等感を覚えそうなほど、この時期の予備校・学習塾関係のチラシは元気イッパイである。

 そんなチラシを捨てながら、何十年も前のほろ苦い経験を思い出した。
 昭和30年代はじめ、わしは東京の下町に下宿して、自炊しながら学生生活を送っていた。
 そこは材木置き場の片隅にぽつんと建った家作だった。
 大家は材木屋だ。戦後まもない頃に、手っとり早い現金収入をもくろんで建てられた、掘っ立て小屋にうぶ毛が生えたていどの家だった。わしを入れて3世帯が住んでいた。

 申し訳けみたいな玄関につづく廊下の行きあたりに、粗末な共同炊事場とトイレがあった。両方とも、他の下宿人が使用していないときを狙って、椅子取りゲームさながらに走りこんで使わなければならなかった。
 炊事中にトイレの芳香が流れてきて、料理の匂いとまざりあうのが何ともいえない妙味だった。

 大家の材木屋のおかみさんは、目と体の大きな女だった。若い頃はさぞや美人だったろうが、その頃は中年太りで威圧感のほうが強かった。
 
 そのおかみさんから、あるとき家へ呼ばれた。大家の居宅は材木置き場の隣にあった。
 行くと食卓に家庭料理が並べてあって、食べろと言う。わしは最初、どういうこと? といぶかったが、あまり深く考えずにありがたくいただいた。十代の男(当時わしは十九歳だった)が貧しい自炊生活をしていたので、同情してくれたのかと単純に思ったのである。

「おいしかった?」
 ほぼ食べ終えたころ、おかみさんが訊ねた。まいにち単純な料理をくり返し食べていたわしにとって、もちろんおいしくないわけはなかった。正直にそう言うと、おかみさんはさらりと、
「週に2回ほど、わたしの料理を食べにこない?」
 と言った。

 突然どうしてそんなことを言いだしたのか、訳がわからなかった。黙っておかみさんの顔を見返していると、彼女はひょいと首を後ろへまわして、女の名前を呼んだ。
 待っていたように隣の部屋のふすまが開いて、少女が出てきた。何度か見かけたことのある大家の娘だった。彼女は母親に似ず、どこかひしゃげた感じのする陰気な子だった。
「娘のK子。中学3年生。つまり来年の春が高校受験なの」
 と紹介された。

 ようやく事情がつかめた。K子には志望する私立高校があるのだが、そこを受験するには学力が少々足りない。特に英語が弱い。そこでわしに英語の家庭教師をやってくれないか、というのだった。週2回、1回2時間、謝礼はいま食べたような食事・・・。

 わしは返事をしぶった。
 学生のアルバイトとはいえ、家庭教師代を食事を食べさせるだけで済まそうとする商家のおかみらしいやり方に、少々反発したのである。
「自分の勉強もありますし、他でやっているバイトにも時間を取られますので・・・」
 そう言うと、じゃ1回に1時間半でいいわ、どう? と、まるで商売の値引き交渉をするみたいに言った。
 わしはわしなりに計算して、マンネリ化しかけている生活に新しい風を入れられるかも・・・と思って承諾した。
 
 この話は少々長くなるので2回に分けます。続きは次回で・・・。

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