隣りのアメリカ人
わが家はメゾネット形式の集合住宅だが、お隣には数年まえからアメリカ人(白人)の夫と日本人妻の夫婦が住んでいる。
年齢はふたりとも60代。
夫(仮にSさんと呼ぶことにする)は体の大きな人だ。
といっても欧米人としては平均よりちょっと背が高いていどなのだが、日本人の奥さんが日本女性にしてもかなり低いほうなので、ふたりいっしょに居るところを見ると大男に見える。
Sさんはもの静かな性格で、知的なひとのような印象だ。
もっともそう見えるだけで、実際はどうか知らない。隣同士だけれど深い付き合いはないからだ。顔を合わせたら挨拶をし、ひと言ふた言天気の話をするていどである。
彼の日本語は、日本に来てだいぶ長いらしく流暢だ。なまりは強いけれど。
彼のいちばんの特徴は、あまりアメリカ人らしくないことである。
アメリカ人というと、わしなど明るく陽気で社交的・・・といったイメージを持つのだが、彼はその反対のように見える。
シャイというのか非社交的というか、人見知りの強いひとのように見える。
たとえば道で向こうからSさんが歩いてくる。
当方は、適当に近づいたところで挨拶しようと彼を見ているのだが、彼のほうは目に入らない距離ではないのに、そ知らぬ顔してすれ違う。あたかも気がつかなかったように。
当方は、自分では気づかずに何か失礼なことでもしたのかと不安になる。
ところが翌日に玄関先で顔を合わせると、べつに変わった風もなくいつものように挨拶をする。
あるときこんなことがあった。
家を出てSさんの玄関口近くまで来たとき、扉が開きかけて、Sさんの姿が戸口に見えた。だがすぐまたすっと扉は閉められた。
明らかに顔を合わせることを避けたように見えた。
避けられた方としては、あまり気分のよいものではないが、考えてみればわしだって同じようなことをする。道の向こうから嫌なやつが来るのが見えると、すっと横道へ逸れたりすることがないわけではない。
ただ、アメリカ人でもそういうことをするのかと少々驚いた。
だがそれは驚くほうがおかしい。アメリカ人といってもさまざまだ。それを十把ひとからげにして1つのレッテルを貼るほうが間違っている。
数日まえ、テレビの医療番組をなにげなく見ていたら、緑内障の話をしていた。
この目の病気は、端のほうから少しずつ視野が欠けてくるらしい。
それでふと思った。お隣のSさんはひょっとすると緑内障ではないのかと。
すれ違っても知らん顔しているのは、単にこっちが見えていないからではないのか。
では、玄関の扉を開けかけて閉めた行為はどう説明するのか。
それだってひょっとすると別の可能性がないわけではない。
例えば、玄関を出ようとしたときふいに忘れ物を思い出したとか、ズボンのお尻に裂け目ができて下着が見えてる、と後ろから奥さんに呼び止められたとか・・・。
わしはもう残っているエネルギーは多くないのだ。勝手にユーレイを見て無駄なエネルギーを使うは愚かしい。
気をつけようと思う。
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。