シロクマ先生診療記(5)
入れ歯が不具合になって食事ができなくなり、自宅近くの歯科医院に駆け込んで治療を受けた話を書いている。
ここでもこの世のならいで思いどおりにいかないデコボコした事情に出くわし、4回にわたって書いてきた。(前回まではこちら→①、②、③、④)
最後に一つだけ、思わずちょっと笑ってしまったコトをバラす。
シロクマ先生がわしの口の中を覗きこんで、仕事をしている最中のことだった。
治療台の上に寝ているわしの顔は、ちょうど先生の腹のすぐそばにあった。わしの耳と先生の腹とのあいだは、せいぜい5,6センチあるかないかだ。
最初はなんの音か分からなかった。
白衣のポケットに入れてあるスマホのバイブ音かなと思った。呼び出し音をオフにした時、着信を知らせる振動音だ。
だが鳴り方がヘンだった。ヘンに不規則なのだ。長かったり短かったりする。高かったり低かったりもする。鳴る間隔も一定ではない。スマホのバイブ音はそんないいかげんな鳴り方はしない。
それで気づいた。これはスマホの音ではない、人間の音だと。
見た目は白熊風だけど、むろん先生だって人間だ。腹が鳴ってもべつにフシギではない。
おそらく本人も、自分の腹が鳴っていることには気づいているだろう。こんなにくり返し鳴っているだから。
ただ動じないだけだ。知らん顔をして仕事を続けられる太っ腹を持っている。さすが大物のシロクマだ。
診療台の上に寝てあんぐり口を開けながら、わしはなんとなくおかしかった。
白熊センセは腹の中で音を鳴らし、わしは腹の中で音なしで笑ってる。
とにかくそんなこんながあって、グラインダーのおかげで(センセのおかげでとは言わない)”自己噛み” 問題はいちおう解決した。じっさいに食べものを入れて噛んでみなくても、結果は充分にわかった。
そのことをシロクマ先生に正直に伝え、感謝のことばを口にした。
すると先生はいきなりわしのほうへ向き直って、
「治療はまだ始まったばかりです。下の歯も相当にガタがきています」
と言って、前回に撮ったレントゲン写真を見せた。
「まだ数本残っている下の自歯も、比較的状態のいい歯にブリッジをかけてかろうじて保っているだけです。写真のここ、黒く写っている部分がそれです。これなど早くきちんとしたものに取り替えたほうがいい」
「・・・・」
「この機会に徹底的に噛みやすい歯にしましょう」
それが既定の治療予定であるかのような言い方をした。インフォームド・コンセントはどこへ行ったの?
わしはあわてて口を挿んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください。それは少し考えてみてからにします」
歯科医はかすかに不快そうな表情を見せて言った。
「治療を続けるかどうかを決めるのは、もちろん患者さん自身です。わたしはただ、歯科医としての判断を言ったまでです」
しばらくこのまま様子をみて、1ヵ月ほどのちに改めて連絡すると言って、わしは逃げるように歯科医院をあとにした。
すでに1ヵ月は過ぎているが、まだ連絡はしていない。
作家の故・遠藤周作氏は若いころから体が弱く、医者にかかることが多かったそうだが、常々こんなことを言っていたと聞く。
「良い医者に出会えるかどうかは人生の重大事だが、良い女房に出会えるかどうかと同じくらい難しい」
いやあ、ほんと!・・・とわしは両手をあげて賛成・・・はシマセン。
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。