生まれてきて幸せだなァ、と思うとき

幸せだと思うとき

 80をいくつか越えた年になっても、まだ、異性の体に触れるとかすかな胸のトキメキが・・・風にふるえる枯れ葉の切れ端みたいなものが胸に動く・・・というような話を前回に書いたので(前回はこちらから)、今回は調子に乗って、この歳になってもときには「生まれてきて幸せだなァ」と思うときもある・・・というのを挙げてみる。

 およそこのブログの筆者は(…ってわしのことだけど)、書いてるものを読むと、この世に対してあまり好感を持っていない。
 何かというと悪く言うことが多い。
 ツライことが多いとか、思うようにいかないとか、生まれてきた意味が分からんとか言ってね。自分のことは棚に上げといて、何かというと悪いのは世の中のせいにしたがる。困ったもんだ。

 ところが実は、「この世も、そう悪いことばっかりじゃないなア」と思うときも、たまにはある。
 そこに知らん顔してたんじゃ「この世」に不公平だ。わしとしても居ごこちが悪い。
 
 ・・・と思ってふり返ってみると、そういうものはごくごくありふれた、小さな平凡なコトのなかにある場合が多い。うっかりすると気がつかないまま傍を通りすぎてしまうような・・・。
 
 たとえば・・・。
 朝5時ごろに自然に目が覚める。
 この季節では寝室の窓がすでに明るい。
 ベッドから出て、体をすこし動かしてみる。
 体調は悪くない。気分もすっきりしている。
 トイレを済ませて、朝の体操のためベランダに出る。
 晴れていて空が青い。白い雲の浮いている。
 遠くの山の頂きには、すでに陽が当たりはじめていて、そこだけ輝いている。太陽が世の中に朝の挨拶を送っているかのようだ。
 空気が美味しい。腹を目いっぱい凹ませておいて、そこへ目いっぱい朝の空気吸いこむ。
 そしてまぶたを閉じて、吸い込んだ空気を体の隅々にまで行き渡らせる。一日の始まりを知らせるために。
 目を開けると、目の前をスーッとツバメが飛んでいく。
 ・・・たとえばこういうとき、「ああ、幸せだなあ」と思う。

 あるいは穏やかに晴れた日に散歩をする。
 気温は寒からず暑からず。風も軽く頬をなでるていど。
 道沿いの家々の前庭には花々が咲いていて、さまざまな色と形で目を楽しませてくれる。しぜんに明るい気持ちになる。
 花の上を、名も知らない蝶がひょいひょいと飛んでいる。
 垣根の内側で犬がほえる。見るとぬいぐるみみたいな小さな犬だ。赤い口を精いっぱい開けて、一生けんめいにほえている。これはボクの仕事だ、と言わんばかりに・・・。それがかえって可愛い。
 かたわらをランドセルを背負った小学生が通っていく。目が合うと、こんにちは、と元気な声をかけてくれる。知らない子である。おそらく学校で教えられているのだろう、年寄りには声をかけてあげなさいって。
 まちがいない、年寄りは元気が出る。そしてなんとなく「ああ、生きてるって幸せだなあ」と思う。

 パソコンは、今やわしにとっても生活に欠かせなくなった相方だが、この電子機器にも人間と同じように、機嫌の良いときと悪いときがある。
 わしといっしょで、生まれの古いのが根本の原因だろう。
 ところがときおり、なぜかあさ起動したときからすごく調子のいい日がある。いかなる不具合も生じず、動作の遅滞もなく、サクサクとリズミカルに作業が進む。まるで高校時代の元気な朝にタイム・スリップしたみたいに・・・。
 そんな日は、宇宙の奥のほうにいる神サンも笑っているような気がする。なんとなくふっと幸せを感じる。
 
『きけわだつみのこえ』という、かつてベストセラーになった本がある。
 太平洋戦争のとき学業なかばで戦争にとられ、過酷な戦場で理不尽に命を奪われた学生たちの手記・遺言を編んだものだ。一読したら忘れられない本だ。

 その本で読んだのか、同類の他の戦争手記本で読んだのか忘れたが、いまなお心に強く残っているエピソードがある。
 
 戦争末期、南のほうの小さな島に、とある部隊が取り残される。
 救援の可能性はなく、弾薬も食糧も尽きた。
 兵たちは傷ついた身を暗い洞窟のなかに横たえて、ただ死を待っている。

 ある学徒兵は、わが足の傷口に湧いたウジ虫を取り除いたあと、洞窟の壁に背をあずけて目をつむる。そして、いま自分が置かれている状況とは真逆の過去の光景を、まぶたの裏に思い浮かべる。
 そして、わずか20年ほどの短い人生だったが、その人生の中でいちばんの幸せだったのは、どういう時だったろうかと考えた。

 そのとき彼の脳裏に浮かんだのはこんな光景だった。
 春先の(あるいは小春日和の)ポカポカした縁側に新聞紙を広げて、その上で足の爪を切っている。
 時刻は日曜日のお昼前。
 窓ガラスを通して入ってくる陽の光が背中に温かい。
 人間の爪ってこんなにすぐに伸びるものなんだなあ、などと思いながら爪切っていると、台所のほうから包丁の音が聞こえてくる。昼食のため母親が漬け物でも刻んでいるのだろう。・・・・
 
 わしがこの手記を読んだのは20代の終わりごろだったと思うが、そのとき受けた印象と、80歳を超えたいま感じるものは、ほとんど同じだ。

 人間が死を目の前にして感じることは、年齢や人生経験とは関係なく、本質をずばり示すものなのかもしれない。
 

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当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。

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