テレビに溺れる老人とCMに溺れるテレビ
昨今のテレビCMの多くは、正直いってわしには “3らん” だ 。
つまらん、くだらん、わからん。
でもまあ、ムリもない。こういうCMを作っとるのは、わしの孫くらいの年齢の連中だろうから。
この年のヘダタリを埋めろっていうのは、太平洋を埋め立てろっていうようなもんだから、ま、どこまでいっても水平線・・・おっと平行線だろうな。
いちばん気に食わんのはCMの数が多いことだ。
特に番組の後半入ると、がぜん多くなる。終盤になると、番組のあいだにCMが入っているのか、CMのあいだに番組が挟まっている分からんくらいだ。
彼ら(テレビ関係者だな)は視聴者を甘くとるんだ。ここまで見たらもうチャンネルは変えんだろうって。
いちいちうるせえな。だったらNHKだけ見てろ。
・・・って言われるのは分かっている。
もちろんNHKにもいい番組はあるよ。特に、むかし「教育テレビ」といった「Eテレ」には近ごろ面白いのが多い。
しかし民放にも見たい番組はあるんだ。公共放送ではメンツがあってちょっと作れんような企画に、面白いのがちょくちょくある。よってNHK専属視聴者になるわけにもいかんのだ。
それに、実は、年寄りにとってテレビは必需品だ。「食う、寝る、見る」ってのが、現代老人の生きる三本柱。
あまり言いたくないが、あえて言うと、テレビがないと老人は溺れて死ぬ。
溺れて死ぬ? 何じゃそれ・・・って知らないの?
現代の年寄りは、医学の進歩によって命を引き延ばされとる。最新式医学製法による謹製手延べソーメンみたいなもんだ。
だがその引き延ばされた自分の命を、老人たちはどう扱っていいか分からん。なんせ現役時代は、働け働けってんで働きに働かされて、仕事以外に何にもしなかったからな。
今になって、ほら自由時間をやるよ、と言われても、何をしていいか分からんのだ。
有り余るヒマの中に放りこまれて、アップアップ溺れそうになってる老人たちが、わしの周りにもごまんといる。
テレビ以外にやることといえばこんなことだ。
たとえばパソコン持ってるジイさんだと、女房の目を盗んでこそこそアダルト・サイトを覗きに行くくらいのもんだ。バアさんだと気の合った仲間とレストランへ行き、人の悪口を言って楽しむくらい。笑ったはずみに入れ歯が飛んで、隣の皿のスパゲッティに噛みついたりする。
あとはもうただ一日じゅうテレビを見てるだけ。男も女も、老いも若きも・・・じゃなかった老いも老いも、おいらもおまえも。
こうして溺れる者がワラをもつかむ思いで見るテレビも、ちゃんと見たい番組を見せてくれん。バラバラに切り刻まれて、訳の分らんCMを大量に突っこまれる。
だったら見なきゃいいじゃん。
・・・って言うのは分かっとるけど、それじゃ溺れるの。
あんた、冷たいねぇ。