生きるとはこういうことだと思う(1)

永六輔

 パーキンソン病って聞いたことある?
 最近ふえてるそうだから、一度くらい聞いたことあるんじゃない?

 この病気、日本では難病(特定疾患)に指定されている文字どおり難しい病気らしい。

 筋肉が固くなってこわばる。
 おそらくその結果なんだろうけど、動作が鈍くなり、すばやく動くことができなくなる。
 体のバランスがとれなくなって、転びやすい。

 なんだ、それじゃ、別にパーキンソン病のお世話にならなくても、ふつうにじぃさんばぁさんになれば、それでOKなんじゃないの?
 ・・・なんて早とちりしないでほしいネ。パーキンソン病はそんなヤワな病気ではないんだ。

 この病気になると、ことばもうまく操れなくなる。
「オレさあ、7代前からの江戸っ子なんだ」ってのが自慢で、歯切れのいい言葉を機関銃みたいにまくし立てていた男が、小雨ふる夜の雨だれみたいな声しか出さなくなる。・・・というか出せなくなる。
 大声だったのに小声にもなるし、ロレツがまわらないから聞き取りにくい。

 手や顔が小刻みにふるえる。人前でも遠慮してくれない。

 少し変っているところではこんな症状もある。
 電車に乗って窓の外をみると、外の風景が進行方向と逆へ動いて見えるよね。そして電車が止まると風景もとまるだろ。
 ところがこの病気になると、電車がとまっても風景は止まらないんだそうだ、しばらく・・・。

 ま、止まらなくたって、現実に何かとぶつかるわけじゃないんだけど、ほんとに衝突事故をおこす可能性がないわけではない。
 せかせかと、小刻みに前へつんのめるよにして歩くようになるだけでなく、止まろうと思ってもすぐには止まれないのだ。電車の窓の外の風景とおなじだ。

 で、道を歩いていると、曲がり角からふいに自転車が現れたりする。
 自転車は急ブレーキをかけても、こっちはブレーキが壊れてるから、イヤもオウもなく自転車に抱きつくハメになる。場合によっては冷たい鉄とキスする。運が悪いと歯が折れる。あるいは入れ歯がすっ飛ぶ。
 相手の自転車に乗っていたのが若い美人ならまだ救われるが、人生でそんな僥倖にめぐりあうことはまずない。

 どうしてこんな病気になるのか、どうすれば治るのか、まだよく分かっていない。

 永六輔という人がいた。(1年半ほど前に亡くなった)

 肩書(作詞家・タレント)の枠に収まりきらない活躍をして、昭和と平成を生きぬいた彼は、晩年このパーキンソン病を患った。
 彼は上に書いたような症状をみんな味わったらしい。自転車とキスした事例を除いて・・・。

 彼にとってとりわけつらかったのは、食事がふつうに取れなくなったことだった。
 箸がうまく持てないから、食べものをボロボロこぼしたり、指にひっかけて汁椀をひっくり返したりする。彼は自分が出演したラジオ番組で、こんなふうに話している。

「・・・だから、みんなで一緒にご飯を食べるということができなくなっちゃう。自分で、いやになっちゃうんですね。でも今は、そこを頑張って、こぼそうがひっくり返そうが、みんなと一緒にご飯を食べる努力をしています」

 わしは、そのトークを活字にした本でこのくだりを読んで、感動した。
 こういうのがほんとに生きるということだな、って思った。

 永さんは特別の才能を与えられて優れた仕事をした人だけれど、難病を患って大きな不都合の中に放りこまれ、できることをたくさん失った。
 そのなかで彼が示した生き方は、わしらをも元気づける。勇気づける。

 不都合なことが起きることの多いこの人生で、それでも自分にとってほんとうに大切なことは、どんな不都合のなかでも、そこから逃げないでなんとか頑張ってみる。
 見栄とかメンツとか格好悪いとか、そういったものばぜんぶ捨てて、自分に大切なことはちゃんとやっていく。少なくともそういう努力をしてみる。

 それさえできないなら、生きていたってしょうがないよ。  

 ・・・ってわしは自分に言っている。

ポチッとしてもらえると、張り合いが出て、老骨にムチ打てるよ

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