長兄(2)-腑抜けた金魚-
前回、子育ての経験のない祖父母に溺愛されて育っために、20歳を過ぎても “うつを病んだナメクジ” のように家の中でじくじく生きていた長兄のことを書いたが、その続きである。(前回の記事はこちらから)
あるとき家の書棚から、美術書や文学全集などがごっそり消えた。
誰も目撃したわけではないが、長兄がひそかに売り飛ばして煙草銭にしたのは明らかだった。
そのころ祖父はすでに亡く、長く家の実権をにぎっていた祖母もようやく老いた。
家の中心になった母が兄をきつく叱りつけた。無断で本を売り飛ばした問題よりも、長兄の先行きに強い危機感をつのらせたのだと思う。
いつもの兄なら、抵抗しないけれど行動もしないのだが、このときは数日後にふっと家からいなくなった。
どのような思いで、彼にしてはそういう思い切った行動に出たのか、当時のわしには想像すらできなかった。だが、目ざりなナメクジが目の前から消えてホッとした。しかし母や父にしてみれば、また別の心配や懸念が生まれていたにちがいない。
それきり音沙汰がないまま半年ほどが過ぎたころ、とつぜん一通のハガキが舞いこんだ。腰の骨がくだけたような文字で、「船員になった」と書かれていた。「ちゃんと働いているぞ」と言いたかったのだろうが、その「船」がフェリーなのか漁船なのか貨物船なのかわからなかった。
ところが一年ほど経ったころ、連絡もなくとつぜん帰ってきた。
女を連れていた。
厚化粧の、みるからに場末で水商売をしていそうな女で、挨拶もろくにできなかった。母はのちにぽつりと、あのときほど情けない気持ちになったことはなかったと洩らしていたけれど、子供のわしでさえ隣近所に恥ずかしかった。
二人は一週間ほど居てまたふいと出て行った。
後でわかったが、兄はそのときすでに船員を辞めていた。その後も一、二年おきにふらりと帰ってきて、そのたびに違う女を連れてきた。
違うといっても多少顔の造作や背の高さがちがうだけで、人間のレベルは同じだった。
また、女が変わるときには仕事も変わっていた。どっちが先かわからないけど。
当時父や母は、長兄について直接ほかの子供たちに何か言うことはなかった。だが胃袋にはいつも重いものがぶら下がっていただろう。こころの晴れるときは一日もなかったにちがいない。わしには子供がいないので本当のところが分からないのだが、親というのはじつに因果なものだと思う。
長兄の生涯を通じて言える最大の特徴は、とにかく根気が続かないということだった。彼の天敵は外ではなく内にあった。仕事であれ何であれ、忍耐とか辛抱とかを要とすることの前に立つと、彼は無能の人となり、全敗した。
それと裏表だと思うが、意思をもって物事にあたるということがほとんどなかった。つねに周辺の水の流れの間に間に漂うだけだった。
前回の記事でわしは、家にいた20歳ころまでの長兄を “うつを病んだナメクジ” みたいと書いたが、家を出てから40歳前あたりまでの彼を喩えるなら “腑抜けた金魚” がふさわしい。たまたま入れられた金魚鉢の中で、意志も意思もなくただヒラヒラ泳いでいただけだ。
わしのような性格の人間には、なんとも情けない人生だと思えるのだが、この長兄の一生をみていると、前回の記事にも書いたとおり、人間としての幸せはまた別の話だという気がする。
じつは彼の人生は、40歳を少し前にして、それまでとはまた大きく様変わりしたのである。
どう変わったのかを次回に書いてみる。
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。