使って増やそう わしらの “ちょきん”
1年半ほど前に、この地へ引っ越してきたときのことだ。
役所で転入手続きをすませて2,3日後だった。
玄関にチャイムが鳴った。
宅配だろうと思って出てみたら、配達人らしからぬ70歳くらいの男が立っていた。宅配物らしき荷物も持っていない。
新聞の勧誘か、と思った。
どっかから引っ越し情報を手に入れて、早速やってきたのだろうと。
男は招き猫みたいな愛想のいい笑いを浮かべながら、言った。
「町内会の会長をやっているMと言います。いまちょっといいですか?」
「あ、はい・・・」
「実は町内会で、週に1回、ちょきん運動というのをやっておりまして・・・」
勧誘は勧誘でも、貯金の勧誘か。わるいけどお門違い。
「恥ずかしいんですけど」とわしは途中でさえぎった。「うちはいま年金でなんとか生きておりまして、とても貯金までは・・・」
「いや、じつは、ちょきんの『きん』はお金の『金』ではなく、筋肉の『筋』なんです」
「・・・筋肉のキン?」
「はい。・・・ま、早くいえば老化防止の体操ですね。ラジオ体操に毛が生えたような・・・といってもけっこう細いのや太いの、長いのや短いの、色々な毛を混ぜ合わせて、1時間半ほどかけて念入りに体を動かす会なんです」
やはり勧誘にまちがいなかったが、老人専用、「寝たきり予防」の勧誘だった。
何度もこのブログに書いているが、わしは日常よく歩く(ときには走ったりもする)し、我流の体操を毎朝している。で、そのうえ “運動する会” にまで参加することはないか・・・と思った。
が、まあ、越してきたばかりの土地に新しい知り合いを作るチャンスになるかもしれないと思い、その「貯筋運動会」なるものへ一応参加してみることにした。
次の週から、さっそく軽装に着がえて出かけた。
会場は自宅から5,6分ほど歩いたところにある地区の集会場である。
20人ほどが集まっていた。8割がたが女性だ。やはり男より女性のほうが積極的である。ただし婆さんばっかりだけど。
・・・ってそりゃそうさネ。若い人にこんな運動会は必要ないもの。若い美人の参加をひそかに期待したってムリ。
まず、集会場内に並べられている長机や椅子を、みんなで壁際に寄せて片づけた。その際、机の反対側を持った人とはいやでも顔を合わせるし、その気になれば言葉も交わせる。たしかに容易に顔見知りを作れる。
さて、わが家へ勧誘に来た町内会々長のMさんが、司会というか進行係みたいなことをやって、 “貯筋運動会” は運動を開始した。
Mさんは最初に、コロナをネタに落語のまくらみたいな小噺めいた話をして、皆を笑わせた。
彼はこういう役どころに慣れているらしく、話をしながら机の上の器具類のコードをつなぎ、つなぎ終わったころにまくら(小噺)も終らせた。
天井の隅に取り付けられたスピーカーから音楽が流れだした。
「線路は続くよ、どこまでも」の軽快なメロディに乗せた替え歌である。
♪ みんなで伸ばそう 健康寿命
使えばなくなる お金の貯金
使って貯めよう 筋肉貯筋
老後に備えて 貯筋と貯金
誰が作ったのか知らないが、6番まである歌詞はどことなくユーモラスだ。ちゃんと脚韻も踏んでるしね。
貯金は使ったらなくなるが、貯筋は使えば増える、という1字ちがいの同音異義語を並べて比較する発想がおもしろい。いうなら “貯筋音頭”?。
この貯筋音頭を、まず参加者全員でもって合唱する。
「できるだけ声を大きく張り上げましょう! これも運動!」とMさんが声を張り上げる。
今もやるのかどうか知らないが、かつて日本の多くの中小企業では、朝礼時にラジオ体操と社歌の斉唱をやったものだ。日本人ってこういうのが好きなんだねぇ。
老人専歌・貯筋音頭の斉唱が終わっても、音頭自体はスピーカーからエンドレスに流れつづけた。
というのは、この歌に乗せてメインの体操を行うからだ。
音楽のリズムに乗せてみんなと一緒に体を動かすと、ひとりで黙々とやるより確かにやりやすい。ひとりだと2,3日で坊主だろうが、これだとなんとか持ちこたえられそう。
・・・といっても、同じことを長く続けると飽きる。15~20分ほどで貯筋音頭は止めて、体操はいったん中断、別のことをやった。
何をやったかというと、いちばん近いのは老人施設でやるリクリエーション・タイム。
軽く手足を使いながらのボール遊びとか、頭を使うなぞなぞ遊び、尻取りゲーム・・・等々。いかにも老人臭いやつネ。・・・って、あんた老人だヨ。
そんな中のひとつに、みんなで輪になって踊る、保育園児のお遊戯みたいのがあった。
両横のひとと手をつないで、前に出たり後ろへ下がったり。
ま、♪負けてくやしい花いちもんめ に近いね。
さらに一列に同じ方向を向いて、後ろのひとが前のひとの肩に両手をかけて、前に進んだり後ろにさがったり・・・。こりゃ電車ごっこだ。
ふいにわしの頭のなかで、「オクラホマ・ミクサー」が流れだした。
まぶたの裏に浮かんだのは、中学生のときやったフォークダンス。
生まれて初めて女の子の手をじかに握った歴史的瞬間だ。
あの時ほど胸が高鳴ったことは、その後の人生でもなかった。
歴史はくり返す。
それから70年近くを経て、いままた異性の手や肩をさわって、フォークダンス(めいたこと)をしている。
にぎる手は老いてカサカサしてるが、何ということか、かすかに胸がトキメイている。中学生の時の何十分の一ほどではあるけど・・・。
えッ、ナニ、コレ、って自分でも驚いたね。
生まれて初めて異性の手に触れた中学生の胸の高鳴りは、ま、分からないではない。
しかし人生のほぼ全行程を歩き終えて、その長い道のりを通し異性の表も裏も、酸いも甘いも、辛いも苦いも知りつくしたはずの80男の手が、初対面の異性の体(それも自分同様に水分を失った・・・)に触れただけで、かすかに胸がトキめいているなんて。
我ながら不思議だ。なんだコレ!?
・・・なんて、ま、どうでもいいタワイない経験を、この年になってもまだたまにすることがあるのデス、はい。
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。