人類史の矛盾?
わしの周辺には、
「私の仕事は、あとは死ぬだけです」
・・・といった顔で生きている高齢者がゴロゴロいる。
直接そうわしに言った老人も・・・。
言われたわしは、ほんとうは「当方も同じです」と返す以外にないのだが、それでは身もふたも味もないので、次のようなことをゴニョゴニョ言うことがある。
哺乳動物を対象とした生物学の研究では、霊長類のうち成人後生殖できない期間、すなわち「老後」があるのはヒトだけであると。
たとえばゴリラやチンパンジーは、生まれて数日後には自力で母親の体毛にしがみついて育つ。で、母ゴリラは両手が自由なので、木に登れるし、食べ物も採れる。
ところがヒトは体毛がないので、母親が抱っこして育てる。両手がふさがる。
そんな母親の援助・世話を、子育て経験者であるおばあちゃんが担った。
元気で長生きな老女がいる方が、ヒトは生きやすかったのだ。
しかし、それではおじいちゃんはむだメシ食いである。
爺さんは生殖できなくなったら、さっさと死ぬべきではないのか。
・・・と思われそうだが、おじいちゃんの役割もちゃんとあったという。
内輪もめの仲裁や、狩猟・採集の知恵の伝授といった、集団のまとめ役や指導役として役に立った。
つまり女性も男性も、老いても集団に利する役割があったので、生殖機能を失っても命は残った。
・・・と生物学者に言われれば、なるほどと思わせられる。
しかし・・・とわしは考えてしまう。
わが夫婦のように子も孫もいない高齢者は、集団の役に立つ場がない。
昨今は家族が核家族になるし、近隣関係もどんどん薄くなっている。
それどころか高齢者はあちこちにガタが来て、社会のお荷物になる場面のみが増えている。
早晩、人類は生殖機能がなくなったらすぐ死ぬようになるのではないか。鮭のように・・・。
ところが現実は逆の現象が進んでいる。年々寿命が延びている。
人類史上の矛盾ではないか。
それとも、これは単に時間のズレが生んだ一時的な現象なのか。
・・・などと、役割がなくなったヒマな老人が時間を持て余して、なんの役にも立たないことを考えたのでちょっと述べてみた。
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