大声はまずいですか?
わしの声は大きいらしい。
らしい、というのは、自分では大きいと思っていないのだけど、周辺の者が大きいと言うから。
食べもの屋とか病院の待合室で、わしはごく普通の声で話しているつもりなのに、話をしている相手に、とつぜん口に人差し指を当てられることがある。たいていは女性。
えッ、そんな大きな声で話してる? とわしはおどろいて、とりあえず声を低くする。
が、しばらくすると元にもどるらしい。また指を立てられる。・・・だけではすまない。今度は、
「そんな大きな声で話さなくてもいいわよ。わたし、まだ耳遠くないから」
などと嫌味っぽく言われることもある。
辺りを見まわして、べつに誰もわしの声を気にしているように見えないけどなあ、と、かすかな不満をもよおしつつも、また声を下げる。
・・・なんてことが今までちょくちょくあった。
親父も大声だったから遺伝かもしれない。
つまり厳密にいえば、わしの責任というより先祖の責任なのだけど、わしが責められる。ま、当たり前だけど。
結婚したてのころ、わしらの結婚に反対だった義母は、おそらくわしの声の大きいのを品がない・・・と思っていたにちがいない。
その娘である女房はといえば、「声もでかいけど、態度もでかい」と思ってるのはほぼ間違いない。
最近、声の大きいのを嫌がる人の気持ちが、少しだけ分かる場面がふえた。
観光地の街角や、ホテルのロビーとかエレベーターのなかで、中国人観光客といっしょになるときだ。
彼らはとにかく周辺をあまり気にしないで大声で話す。それが日本人の耳には障る。”傍若無人” なんてことばを持ち出して眉をひそめる人もいる。
しかし、おそらく彼らの国ではそれが普通なのだ。誰も気にする人などいないにちがいない。
同じことをしても、違う国や別の社会では摩擦が生まれる。声に限らずさまざまなところで。
これはどうしようもないことだ。猫広場にたまたまやってきた犬の声が、気に入らないと猫グループが非難するようなものだから。
このようなすれ違いや小さな摩擦は、グローバル化していく現代では、これからますます増えていくだろう。
お互いが違いを認めあって、許容しあうしかないだろう。