親はつらいよ

両親

 どこかで触れたと思うが、わしが子供だったころ、わが家はあまり豊かではなかった。
 一家の中心だった祖母が老いて仕事を辞めたのとほぼ同時に、母も職を退いたので、飛ぶ鳥に矢が当たったかのように急落した。村中でも、どちらかというとばビンボー家庭の口だった。育ちざかりの子供を5人も抱えていから、それぞれの口へエサを運ばなければならない親は、かなり大変だったと思う。

 夜中に目が覚めると、ふすまを閉めた隣の部屋から、ときおり両親のひそひそ声が聞こえてくることがあった。○○に払う金がない、借りなければならないが、こんどはどこから借りたらいいだろうか・・・などといったたぐいの話だった。
 
 だが供だったわしは、一時的にはちょっと暗い気持ちになっても、それほど深刻にはならなかった。

 そういったふうに、親が子供を育てるのに四苦八苦していても、その苦労のたいへんさを理解せず、勝手きままに生きていた。
 ただ大人になってから、その頃のことを何かのひょうしにふと思い出して、後悔の苦い汁が胃の中ににじみ出ることはあった。
 
 たとえば大学進学。
 わしが育ったのは兵庫県の北部にある田舎で、この辺りで高校から上へ進む者は、ほとんどが京阪神(京都、大阪、神戸)にある大学へ行った。
 だがへそ曲がりのわしは、そういう大多数が行く方向へいっしょに歩くのはイヤだった。東京の大学へ行きたいと親に申し出た。家庭の事情も考えずに・・・。
 
 もちろん親は渋った。大学は出してやりたいが、できるだけ金がかからないようにしたい。関西の大学なら距離的にも近いし、親類縁者もいる。関西の大学にしてほしいと言われたが、わしは簡単に妥協しなかった。ひつこく東京へ行きたいと言いつのった。
 
 親は根負けして、わしのわがままを受け入れた。そしてそのぶん自分たちの背中に、より重い荷物をしょいこんだのである。

 たとえばわしは図に乗って、ド田舎の高校生にはどだいムリなところを狙い、落第した。それも2回も・・・。つまり2年浪人をしたのである。2回目のときは、田舎に帰らず東京に居残ったままだった。もちろんわしもアルバイトはしたが、親はその間も、苦しい生活をやりくりしながら仕送りをしてくれたのである。

 やり手だった祖母とちがって、ともに教師あがりで商才もビジネス的才覚もゼロだった両親が、いったいどのようにして金の工面をしたのだろう・・・と今にして思う。

 そこへ思いがいくと、申し訳なさで土下座したくなる。地面に額をこすりつけて、親のおかれていた状況や気持ちも考えずに、勝手気ままを言っていたおろかな息子だった自分を、ひたすら謝りたくなる。
 
 父や母は草葉の陰でニガ笑いしているだろう。
 あの頃の苦労を分かってくれるのはうれしいが、いかにも遅いねぇ、と。
 お前もまもなくこっちへ来るのだから、ま、そのときゆっくり当時の話でもしましょ、と・・・。

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