コロナと戦わないで同居する

スウェーデン

 世界中の多くの国のリーダーたちは宣言している。
「これは戦争だ」と。

 たしかに現在、世界の多くの国が採っているコロナウイルス対策は、一気にウイルスを叩きつぶすという戦略を基本にしているようだ。
 
 だがそれはある意味で危険な戦略だ。
 タイミングを失するとか、やり方を間違えると戦いが長引く。消耗戦になり、失うものが大きい。多くの死者を出し、経済が大打撃をうけ、社会はガタガタになる。国民も政府も疲弊する。犠牲が多大なものとなるのを避けられない。
 仮にそれでウイルスに打ち勝ったとしても、そこから回復するのにまた大変な時間と金がかかる。
 
 ところが、こうした戦争戦略とはべつの方法でコロナウイルスに対している国があるという。
 スウェーデンだ。
 
 恐怖にかられて対決姿勢で向かうよりも、むしろ対立をゆるめて付き合うやり方をとる。そうしながら相手の弱点を見出し、その弱点を突いていくことで、徐々に有利な状況へもっていく。
 ・・・という対応の仕方をスウェーデンは採っているらしい。
 もちろんわし自身がスウェーデンに行って確かめたわけではないので、実態のほどは分からないが、そういう報道をしているウェブニュースを数日前に目にしたのである。
 
 そのニュースはこういう言い方をしていた。
「スウェーデンは同じ生物であるウイルスとの同居を選んだ」と。
 
 なるほどと思った。
 ウイルスは微生物とはいえ生きものだ。すべての生きもの同様、手ごわいところもあれば脆弱なところもある。
 そこのところをしっかりと踏まえれば、ただただストレートに戦う以外にも方法はあるのではないか。
 
 そう考えてスウェーデンが採用したのが、「力づくで追い出そうとするのではなく、同居しながら相手の力を弱めていく」という方法なのだと思う。
 怯えてがむしゃらに戦う子供のようなやり方より、こちらの方が大人の戦い方だという感じがする。
 
 どちらかというと疑い深いわしが、わりあい素直にこの方式を納得したのは、人間の家庭においても見られる “同居” の情景を連想するからだ。
 
 同居といっても別に仲良くするわけではない。
 同棲初期のようにベタベタくっつきあい、しょっちゅう口づけしたりは無論しない。冷めた夫婦のようにできるだけ離れて住む。いまの流行りでいえばソーシャルディスタンタンス。
 しかし、密かに相手のあら探しに精を出す。そしてそれをネタに嫌味や皮肉をいう。チクチク突つく。よくやるでしょ、人間夫婦の間で・・・。
 そんなことをしていると、強引に居候している招かれざる客もエネルギーが落ちて、どこかで決定的な弱点をさらすかもしれない。それを逃さずにドンと突く。相手はたまらず家から出ていく。・・・のではないか。
 
 もちろん専門家の目から見ればいろいろ問題はあるのだろう。またこの方式だってある程度の犠牲は避けられない。
 しかし全国一斉休業したりロックダウンしたりして、社会機能を麻痺させてまで全面戦争するよりも、総合的にみれば被害は少ないのではないだろうか。
 
 こうした大人の対応をしている国はまだ少ないようだ。
 それだけにスウェーデンのこの試みの結果を知るのが楽しみだ。
 
 今はそんなことしか楽しみがない。
 生きてる間にこんな経験をさせてもらえるとはね。
 

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