鼻毛/退屈のしのぎ方(下)

退屈対策

 前回、人生には付きものの退屈をとりあげ、この問題に対して夏目漱石が編み出した「鼻毛抜き道」なるものを紹介して、その神髄はグラフィカルな創造性にあるのではないか・・・という推測を述べた。
(前回はこちら。こっちを先に読んでおいてね。でないと意味わかんないから)

●「鼻毛抜き道」の神髄
 漱石先生もこの道に入った最初のうちは、おそらく、自らの鼻から抜き取った鼻毛を、順次、縦あるいは横一列の単線状に並べられたと思う。

 しかしそれだけでは面白みがないので、変化をつけて曲線に並べたり、幾何学模様にしたり、やがて花とか動物を模して絵画的にしていったにちがいない。

 そして、時とともにさらに工夫がなされ、発展し、複雑になり、芸術的になっていった・・・と推察する。

 この過程のなかにこそ、退屈対策法におけるの本義と妙味があることは、想像に難くない。
 
 さて、ここまでは夏目漱石の退屈対策についての考察だが、以下はわしが漱石先生のひそみに倣って「鼻毛抜き道」の門を叩いたのち、わし自身が経験したことを通しての研究、解析である。

●副旋律
 以上に述べたことが仮に「鼻毛抜き道」の主旋律とすれば、副旋律を奏でる次のようなものがある。
 つまり実際に作業を行うにあたって、副次的に生じる現象である。
 
 たとえば、まず思いっきり鼻腔を膨らませておいて、そこへ自らの指先(通常は親指と人差し指)を押し込み、鼻毛をつまんで勢いよく引っぱるのが基本作法だが、その際、先に述べたような快感が生じない場合がたまにある。
 これには二つのケースがあって、
 ① 一つは途中で鼻毛がちぎれる場合。
 ② もう一つは、ぬめって指先からすべり抜ける場合。
 である。

 快感への期待を裏切られて鼻じろむのは共通するが、前者①のケースでは、ちぎれた鼻毛の一部が指先に残る。
 その、途中でちぎれた鼻毛の姿が、わしにはある種の感懐を胸底に滲み出させる。中途半端に終わろうとしているわが人生を連想させるからである。

 一方で負け惜しみも口をはさむ。
 すべてが百パーセント期待どおり、というのは面白くない。時には期待を外されることが、甘味のなかのひとつまみの塩となって味わいを深くするのではないか、と。

 さらに、この味わいにクレッシェンドをかける旋律もある。抜いた鼻毛を紙の上に置いたのち、虫眼鏡で拡大して仔細に眺めることによって、それは奏でられる。

 当たり前だが、鼻毛といえど一様ではない。百毛百様だ。長いの短いの、太いの細いの、まっ直ぐなのもあれば、まがったり、縮れたのもある。すくすくとのびやかに育ったものもいれば、環境が悪かったのかいじけたのもいる。
 
 それらを虫眼鏡をとおして念入りに眺めていると、それぞれの鼻毛に、これまでの人生で出会ったさまざまな人間たちが重なって見えてくるのだ。

 そのとき、鼻毛の一本一本が思いもかけず喚起するさまざまな感慨は、一曲の懐メロが遠い過去の一場面を呼び起こすように、酸味や苦味をふくんだある種甘美なメロディーを胸中に奏でて、時を忘れさせてくれる。
 これはいわば分流的な技だが、いつも予想を越える耐退屈効果をあげるので、ここに特別に取り上げた。

 たとえば高校時代に憧れていたSさん。
 この鼻毛のようにほっそりとスマートだったのに、二十年後クラス会で再会したときには、ゆうに三、四倍になっていた。あれはまちがいなくストレスや欲求不満による過食が原因だろう。美人必ずしも幸せならず、という現実の一例だねえ・・・とある種の感懐をもよおす。

 あるいは、先端部分がすこし曲がっているこの鼻毛は、恩師のM教授に似ているぞ、と何十年ぶりかに思い出す。首をちょっと右に傾げて、いつも困ったような含羞を含んだ顔をしていたいい先生だった。ずいぶん面倒見てもらった、というより迷惑をかけっぱなしだったのに、卒業後は一度訪ねたきりだった。なんという恩知らずだろう、オレってヤツは・・・とかいった後悔の念。

 さらには、こんな最低のヤな奴がこの世にいるのか! とずっと反感を手放せなかった人物さえ、縮れていじけた鼻毛にそいつが重なって見えてきたりすると、何とはなく気持ちの中のトゲが消えて、あの男もアアなるにはアアなる理由があったんだろうなァ・・・と寛大になり、ついには、人生という共通の敵と戦ってきた戦友のような友愛感さえ覚えはじめる。

 ・・・とまあ、鼻毛を抜くというと、汚い、下品、みっともないとヒンシュクを買うのがふつうだが、こんなぐあいに哲学問題の解決策につながることもある、という話をした。

 おい、おい、ちょっと待ってよ。これで終わるのかい? いったいお前さんは、何が言いたいんだね? とお尋ねデスか。
 すんまへん。何か言いたいことがあったわけやオマヘン。ちょいと手持ちぶさたで無聊をかこっていたもんやさかい・・・。

 貴重な時間をつぶしてお読み下さった方には、遅まきながらお詫びいたします。

追記:指の代わりに「毛抜き」もしくは「鼻毛カッター」を使用する分派もあるが、「鼻毛抜き道」本流からいえば邪道デス。

 

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