遠縁のヤなおじさん(3)

輪廻転生

 この世に生まれたら、必ず死ぬのは生きものの宿命だ。
 ヤだと言っても聞き入れてもらえない。シャンプー嫌いの犬なら逃げ切れるケースもあるが。

 だから死ぬのはいいとしても、死んだあとは何処へ行くのだろう?・・・と、寿命が近づいた人間は誰でも一度は考えるのではないだろうか。

 わしも例外ではなかった。で、そこに至るまでの過程を前回と前々回に書いて、今回はいよいよ本丸に入る。(前2回はこちらから。→(1)(2)
 
 死んだら人間はどこへ行くのか・・・という問題は、今も昔も、世界中でいろんな人がいろんな風に考えている。たとえばポール・ゴーギャンの絵に、そういうタイトルの作品があるのはよく知られている。
 
 思うに、大きく分ければ、およそ次の3つに分類できると思う。
 
 ①死んだら全て終わり。肉体とともに、思考・感情をつかさどる脳も消滅するので、文字どおり「無」になる。
 死んだあとも何かが残る、などというのはたわごと。ナンセンス。

 ②肉体は滅びても、魂というか霊というか、意識は存続する。科学的に証明できないからいって否定するのは、視力が弱い。現代科学で説明できるのは、この世の事象のごく一部にすぎない。

 ③死後のコトなど分からない。もしくは特べつなにも意見はない。・・・というか、死んだあとのことまで考えたくない、いま生きているだけで手いっぱいだから。
 
 以上の3つのうち、わしはどれに一番近いかというと、まあ③だと思う。
 が、ステバチにならないで少しマジメに考えると、少し②に近づくかもしれない。
 
 なぜなら、近現代において長足の進歩をとげた科学とはいえ、科学が解明できることはこの世のごく一部だという説明は、わしにも納得がいくからだ。

 早い話、ほぼ500年ほど前までは、地球が丸いなどとは誰も思っていなかった。地球が動いているとも考えなかった。動いているのは目に見える通りに、太陽や月や星たちを載せた天であると考えていた。いわゆる天動説ね。科学の進歩がまだそのレベルだったからだ。
 
 さらにいえば、現代科学の最先端に位置する量子力学の研究者のなかには、現代ではふつうタワゴト・インチキ・テジナの類と思われているテレパシーやテレポーテーション現象を、やがて素粒子理論で説明できるようになると言っている人もいる。

 また卑近なところでは、臨死体験や幽体離脱などをみずからの体験として語る人がこれだけ多く出てくると、霊魂などの目に見えない存在を完全に否定することは難しくなる。
 なぜなら、その非存在を科学によって証明しできないまま、ただ否定するだけでは科学的ではなく、自らが拠って立つヤグラがゆらぐからだ。
 
 死んだら完全に無になるのではなく、目に見えない何かが残り、やがて新たにこの世に生命を得て生まれ変わる・・・という考え、いわゆる “輪廻転生” の考えが認知されるようになると、現世を生きる人々の生き方が微妙に変わるのではないかと思う。
 
 どう変わるかを見るには、反対の地点から眺めるほうが分かりやすい。
 つまり「死んだらすべて終わり」と考えるなら、どうしても人間の生き方が刹那的な傾向を帯びるのを、避けられないと思う。

 パラレルワールドも来世もなく(それらはみな人間の妄想)、現世の肉体だけがすべてであるならば、とにかく生きている今だけが大事になる。今さえよければよい、楽しければ、幸せであれば・・・。

 となれば、自然の成り行きとして、どうしても物質主義・実利主義を軸とした生き方になり、利己主義が前に出てくる。
 結果、社会を形成して生きる人間の生活空間は、空気が悪くなる。
 わがままや自分勝手がはびこり、争いが多くなり、場合によっては国と国の戦争につながる可能性だってある。
 ごく一握りを除く大多数の人間にとっては、生きづらい生活環境だ。
 
 一方、肉体は消滅しても魂は存続し、いつかまた肉体をもってこの世に戻ってくるとなれば、これも当然の結果ながら、今さえよければよい、今の自分さえよければよいとする考えは、多少とも勢いを失うだろう。少なくとも刹那的な生き方に奔放な翼を与えることは、意識して控えるようになるのではないか。
 
 後者のほうが人間にとって、生きやすい社会になるのは明らかだ。
 
 ・・・と、まあ、そういうようなことが、死のおじさんを前にした頭に浮かんだことなのだが、実をいうと、もっと地に足をつけた現実的なこまごまとしたことで、考えなければならないものがけっこうある。

 たとえば、万が一わしが先に死んだら・・・という問題。
 老人性モノ忘れ力がわしより優れ、世間的常識の備蓄量が浅く、決断力・行動力に弱いカミさんがひとり残されたら・・・。それを想定して予め準備・用意しておかなければならないことは何か、などといった・・・。
 
 しかしそれをここにつづるには少し重い。
 以前このブログで、日ごろから死について語ることをタブー視すべきではないと書いたことがあるが、今回じっさい少しやってみて、やっぱりこのおじさんを前にして何かをするのは疲れる。

 そのうちエネルギーが回復したらまた手を出すかもしれないが、今回はこのへんでいったん手を引く。
 

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当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。

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